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カテゴリ:読書
★★★★★ まちライブラリーを提唱されている礒井純充さんの著書。 まちライブラリーについては、HPを参照いただきたいのですが、今増加中の私設図書館で、静かなイメージのある公立図書館とは対照的に、人が集まるにぎわいの場所です。 本書のことばを借りれば、まちライブラリーは「人のライブラリー」なのです。誰でもオーナーになることが可能できます。 私が運営に関わる花みち図書館もまちライブラリーの仲間で、礒井さんとお話しさせていただいたこともあります。 本書は礒井さんの気持ちの詰まった一冊です。 礒井さんは六本木アカデミーヒルズの開設に尽力された方でもあります。先日偶然にも、アカデミーヒルズを訪ねる機会があったのですが、とても居心地のいい空間でした。近くに住んでいたら会員になっていたと思います。 しかし、まちライブラリーは同じ図書館でも、アカデミーヒルズとは大きく違う気がします。もっと素朴で、誰もが立ち寄れる居場所なのです。どちらも魅力的なのですが、その違いは本書に書かれている、礒井さんの感覚の変化に起因しているのではないかと思いました。 礒井さんは、当時26歳の友廣裕一さんを師と仰いでいます。礒井さんからしたら息子ほどの年齢ではないでしょうか。友廣さんは全国80箇所にも上る限界集落を半年かけて渡り歩いた方で、礒井さんは勉強会で彼と出会います。 本書でも印象的だったのが、友廣さんがその行脚について話す中で、会場から「ところで、あなたはこれをやって何の意味があるのですか」と聞かれ、しばらく黙りこみ、その後「特にないです」とボソッと答えたというエピソードです。 「友廣さんは、自分にとって意味があるかどうかで活動していないことに、私は気がつきました。彼は目の前の人だけを大切にして、その人の紹介で次のところに行く。出会った人の助けになりたい、そこに自らの存在価値があるのだと、ただそれだけを胸に半年間続けてきたのでした。(P34)」 磯井さんは、そんな友廣さんの姿勢と自分の姿勢を比較して次のように続けます。 「彼の生き方は、私と対極でした。私がそれまでの30年近いサラリーマン生活で考えていたことは、名刺交換をすれば、その人本人ではなく自分がやっている事業にとってプラスなのかマイナスなのか、我々の会社にとって有益な情報をもたらしてくれる人なのかどうかだったのです。(P34)」 私も同じような感覚があったと、これを読んでハットさせられました。 本書で礒井さんがもう一つ強調するのが、「楽しむ」ということです。 子どもの頃、私たちは「意味を求めず」ただ楽しみました。遊びに熱中しました。 砂場で山を作り、トンネルを掘って、指と指が触れた開通の瞬間に感じた、あの喜びをもう一度思い出すべきだと言います。 まちライブラリーにはそのような、喜びと楽しみの共有があります。 私たちの運営するまちライブラリーも含め、その多くが収益性のない図書館です。私たちはむしろお金を払って運営しているくらいです。 なぜ、そんなことをするのか? やはり、そこには人との出会いや、喜び、楽しさがあるからだと思います。楽しいことだったら、お金を払ってでもみんなやっているじゃないですか。 まちライブラリーに興味を持たれた方は、一読をおすすめします。 【関連エントリー】 ●図書館をはじめる。小さなことでも現実の一歩を。 ●「リブライズ」世界の全ての本棚を図書館に お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2015年02月22日 17時10分45秒
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