『「自治」をつくる』 片山善博/ 塩川正十郎 その2
「行政改革というのは行政を変えるわけだから、それを行政の中の人間にやらせてはいけない」(P66)もっともなことである。長年、役所の組織だけで働けば、世間の感覚からずれてくる。それに改革において、はえぬき職員では、「組織の事情」に左右されることになるから、抜本的な改革は期待しにくい。役所には、民間経験者採用という制度がある。全体数としてはとても人数が少ないが、意識の高い民間経験職員が採用された場合は、課ぐらいの規模であれば、雰囲気をがらっと変えることがある。もっと民間経験者を雇用すべきだ。とりわけ行政改革分野では大半を、(期限付き採用でもいいから)そういう職員にしたほうがいい。『公務員の人材流動化がこの国を劇的に変える』 山中俊之 「建て前と本音がある。例えば、お金を使う場合でも、正直にいったら使えないけれども、こういうことに説明しておこうかとか。役所なんかはしょちゅうやっている」(P84)本音と建前はどこにもあることだが、正直にいったら(必要でも)お金が使えないというのは、役所の悪い部分だろう。これは現実とルールが合っていなというところに原因があり、ルールを守ることを重要視した結果、現実をルールに合わせるということが行われる。役所が拠る会計法は、昭和22年に定められ、入札についての「最低価格自動落札方式」「予定価格の拘束」などは、明治22年に制定された旧・会計法の考え方が引き継がれている。明治22年と言えば日本に電気が供給される前の年である。ルールに現実を合わせるということで、調整しているのだから、「齟齬は生じていない」ことになって、ルールは変えられないことになる。「地方自治の世界でも、とにかく自治体が考えなくてもいいように、考えなくてもいいように、中央政府がいろいろお世話をしてくれる。あえて考えざるを得ない境遇を作る、ということが必要。」(P86)自治体が考えなくてもいいように、中央政府がお世話をしてくれるなんて、自治体にしたら、余計なおせっかい、いい迷惑なはずであるが、今の自治体には、そういった意識が薄い。それは、長年の歴史、習慣によってそれが「普通」になってしまっているからだ。国は補助金やガイドラインなどを提示して、それに従っていれば、自治体は楽ができ、「一見」責任も取らなくていいようにお膳立てしてくれる。自治体から考える力を奪っている。地方分権になれば住民も自治体も考えざるを得ない。片山氏が言うように、考える必要を与えなければ、自治は生まれない。「成長率が低下し、付加価値が生み出せないような状況になってきたにも関わらず、余剰価値が豊かであった時分の社会保障制度を、その延長線で維持していこうというところに無理がある。」(P107)これも、もっとも。人口構成も変わり、ますます社会保障の受益者が増えていく。一方で、経済成長は低迷し、この先も期待はできない。そんな時代に高度経済成長期に適用していたと同じように、社会保障を適用できるはずがない。国民の顔色や投票を気にして、負担を求めないのは間違いである。(以下、P108,109より引用)人倫愛、助け合うというか、人間の国民のあり方。国民の社会に対する自己責任というものと、愛情というものをもっと持つべき。社会保障という制度は、もともと金もある、余裕のある人は、余裕のない人に手助けをしてやるという、その精神がなかったら社会保障なんて維持できない。年収が1千万円以上もある、年寄りに基礎年金が支払われている。こうゆうばかな制度を残しておいて社会保障を考えているから、いつまでたっても根本的な解決にはならない。【送料無料】「自治」をつくる価格:2,100円(税込、送料別)★★★★☆