2006/10/12(木)21:24
毒舌!串本、大島
昨日の潮岬でUターンして、周遊道路を下ります。そして、くしもと大橋を渡り、最終目的地の大島です。
樫野埼灯台
大島の東端、樫野の断崖に日本最古の石造り灯台が今も活躍しています。現在は自動点灯の無人灯台ですが、園地内にはかつて常駐していたイギリス人技師が植えた水仙が今も群生しており、
冬には可憐な花が咲き乱れ、あたりは甘い香りに包まれます。
(高さ10.20m、光度53万カンデラ、光達距離18.5海里)
トルコ軍艦遭難慰霊碑
1890年(明治23年)、9月16日、大島樫野崎の沖合で
トルコ軍艦エルトゥールル号が嵐の中遭難し、
乗組員656名のうち587名が還らぬ人となりました。
異国の海に散った将士たちの霊を慰めるために建設された
この慰霊碑では、今も5年ごとに追悼式典が行われています。
また串本の姉妹都市であるトルコの
メルシン市にも同じ碑が建てられています。
トルコ記念館
トルコ国との友好の証としてトルコ軍艦遭難慰霊碑の
近くに建設された記念館。館内には遭難したエルトゥールル号の
模型や遺品、写真などが展示されており、
遭難事故当時の様子を知ることができます。
海金剛
朝鮮半島の名勝金剛山からその名をとった、鋭く切り立った
岩礁に荒波が砕け散る迫力満点の景勝地。
ピラミッド形や獅子頭のような巨岩が海面から突き出す様子には
身がすくむほどの迫力と近寄りがたい神秘が感じられるはずです。
昭和58年1月に朝日新聞社の
「21世紀に残したい日本の自然100選」に選ばれました。
日米修交記念館
1791年(寛政3年)、ペリーの黒船来航より62年も前のこと、
レイディ・ワシントン号とグレイス号の2隻のアメリカ商船が
大島に上陸しました。これが公文書に記録された初めての
日米間の接触であるとされています。同館では、当時の様子を解説したジオラマや写真、船の模型などが展示されています。
大島港、伊豆の踊り子の大島港の様です
ここは串本 向かいは大島
仲をとりもつ 巡航船・・・
バスの終点、大島港
ここは串本 向かいは大島
橋をかけましょ 船ばしを・・・
今回の旅の終点です。月は、デジカメで沢山写真を撮りまして、その中から気に入った物を画に描きます。
帰りに立ち寄った串本海中公園
串本海中公園は、昭和45年に指定された日本初の海中公園の一つです。マリンパビリオン(水族館)には長さ24mの水中トンネルがあり、アオザメやマダラトビエイなどが頭上を悠々と泳ぐ姿を
見ることができます。また、沖合140mの海中展望塔からは
水深6.3mの海底の様子が見られ、海中観光船ステラマリスに
乗船すれば世界最北限といわれるテーブルサンゴの群生を
観察することができます。
今回は此処までです。もう一箇所見たい所が有りましたが時間の都合で駄目でした。また11月に那智山の時寄ります。
応挙芦雪館
串本の町の狭い通りの一角にあるお寺、無量寺。その境内に併設されている小さな美術館が応挙芦雪館です。円山応挙、長沢芦雪の作品を中心に、室町、桃山、江戸時代の絵画96点を展示しています。ほかに串本の笠嶋遺跡からの出土品も展示しています。
温泉も、サンゴの湯
サン・ナンタンランドや、マリンスポーツでたっぷり汗を流したら
串本公衆温泉浴場「サンゴの湯」をご利用ください。
庭園つきの浴室、広間の休息室、吹き抜けのあるロビーが
ゆったりとしたくつろぎの空間をご提供いたします。
そして、弘法の湯
橋杭岩近くの国道42号線沿いに建つ小さな温泉浴場。その昔、弘法大師が難病で苦しむ村人にこの湯の存在を教え人々を救ったという伝説が残されています。
♪ 恋の串本ただひと刺しに
とげてみせたい この思いアラヨイショ ヨイショ
ヨイショ ヨイショ ヨイショ(ハァ オチャヤレ)
♪ ここは串本 向かいは大島
仲をとりもつ 巡航船
(エジャナイカ エジャナイカ ナイカ)
(ハァ オチャヤレ)
みなさま、3日間、お付き合い有り難う御座いました。感謝!
天翔ける 姫と呼ばれし 我が身には ネット世界を 縦横無尽 ご訪問有り難う御座いました。またのお越しをお待ち申し上げます。