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最近、研究のインタビューで患者さんや患者さんのご家族(っていうかスーザン)に会った。
先週は、遺伝性ALSの若い患者さん。 一緒に飲んでしまった。テープは20分しか取れていない。 大丈夫かな・・・。 初めて会ったのに初めてじゃないみたいなお兄ちゃんだった。 昔からお兄ちゃんだったみたいな、素敵な人だった。 家族がALSで自分もALSで、いろんなことを考えただろうに そんなことはみじんも感じなかった。 今日はこのブログを通じてお会いした患者さん。 家族が介護に消極的だったのに、どんどん人脈を構築していくにつれ みんな一丸となってパパの帰りを待っている。 きっと家族も、何も分からなくて在宅介護がモンスターのように思えて 怖かったのだろう。 メールのやり取りはあったけど、1年ぶりの再会。 初めて会ったときは、不安に押しつぶされそうだった。 今はちょうど、わくらばさんが呼吸器つけたときみたいに 自分を取り戻したような、しっかりとした顔つきになっていて すごくかっこよかった。 昨日の母の友人の死の知らせのせいか 私はすっかり涙のブレーキが壊れていて 涙が急にとめどなく流れて、その患者さんの涙を拭きながら 私も涙を拭いていた。 「涙もろくなったんだ」 「私もですよ」 「きれいになったね」 「うまいんだから」 写真を見せてもらったり、素敵な名言集を印刷してもらったり 楽しかった。 最後にほっぺを両手で触ってきた。 握手の代わりに。 「ほっぺに」とオペナビで書かれて チューだったらどうしようと思った。(笑 「お父さんみたいだ」 父が死んで間もなく10年。懐かしいおひげを思い出した。 家に帰ってわくわくママに話した。 ママもちょっと感動していた。 今アパートに帰って 急にいろんなことが思い出されて、涙が止まらなくなった。 私を、親孝行だねと言ってくれる人がいる。 私のような娘に介護されたいとまで言ってくれる人がいる。 でも私はちっとも親孝行なんかじゃないし 最初から、「ママンラブ~」でやってきたわけじゃない。 今でこそこうして一人の時間を自由に過ごすことができるけれど 先が見えない介護の中で、ドロドロした物を抱えて 何も言い返せない母に 「私はママを介護するために生まれてきたんだよね。 よかったね。二人産んでおいて」と言ったことだってあるのだ。 家族の介護はきれいごとだけではない。 だけどその中で、同じ場所で笑顔の時間を共有できることが本当に幸せなことなのだ。 たとえ、母がALSで私をなでてくれることが二度とないのだとしても 私が結婚して子供を産んでも、抱くことすらできないとしても 家に帰れば、そこに母がいるだけで、幸せだって思うのだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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