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私の家の周りでは明かりがともり コンビニも開いているところがちらほら。 お菓子屋さん、食堂、レストランの前でも テーブルを置き、売り子が立っている。 手書きや印刷された「頑張ろう!宮城!頑張ろう!東北!」の張り紙。 スーパーも午後なら並ばなくても買える。 肉はとっても高いけど、野菜は良心的。ほうれんそうは叩き売り。 うちはおととい水が出た。 ガスはまだだけど、ホットプレートでもんじゃ焼をしたりする。 近所では、地震で壊れた建物はあるものの、道路もデコボコがあるが修復され、 瓦の工事が入り始めている。 復興している、人が生き生きしている、 そんな状況の仙台。
東京の10個以上年の離れた従兄夫婦が、 気仙沼の叔父さん叔母さんを訪ねて9時間かけてやってきた。 うちにも食料や生理用品を、姉にもおむつを持ってきてくれた。 「おー!ヨーコちゃん!元気そうで安心した! 相変わらずだな! 実家が流されて、今は家の前にでっかい船があるってさ。 今、弟の家に両親連れてった。 母さんは知り合いの人が車でうちまで逃げてきてさ、 ここでも危ないから、駅まで車で逃げたんだ。 ホームまで行っても津波が来て、柱にしがみついて助かったって。 今は、流された金庫と貯金箱の心配してる。元気だよ」
地震発生時、 塩釜の呼吸器をつけた患者さんのところに入っていたヘルパーさんがきた。 「ヨーコさん!無事でよかった! 私、地震が来た後、もう津波が来るって思って 患者さんを2階に避難させたの。 もう1階まで水が来て、3tトラックが流されて行くのが見えて もう、あのトラックがぶつかったら終わりだと思った・・。 爆発の火もいくつも見えて、あの火が来たら終わると思った・・。 もうここまで来たら絶対に一緒に生きようと思って 手がしびれてもアンビューしたわ。 カニューレが外れて、カフがしぼんでて、 吸引カテーテルを切って差し込んで口から息を吹き込んだの。 近くの家の屋根にしがみついていた人が、夜に一人、朝に一人いなくなっていて、 もう力尽きてしまったんだと思った・・・。 私たちはボートで助けられたけど、車が通れるところまでの長い距離を歩いたわ。」 学生たちが、うちでミーティングをしていて 「この子たちはそういうこと分かってるの?って思ってしまう。 きっとわかってないんだわ」と言った。
きのこ隊Aちゃん、妹が石巻で看護師をしている。 避難所では、朝昼晩に出される食事は、小さなチョコレート一個。 避難所から別の避難所に移動するときには 水に人が浮かんでいるのに何もできない。 家に帰ってから、お父さんがお酒を飲んでいることに激怒し 5日間は申し訳なくてご飯を食べることができなかった。 「後輩が流されたんですよ。運よくっていうか、遺体は見つかったんですけど・・」
一万人以上の人が一瞬にして消えた津波。 それがすぐそこで起きたことなんて、まだとても信じられない。 どう、理解したらいいんだろう。 なんて言ってあげたらいいんだろう。 うれしい半面、申し訳ない気持ち。
復興していく町の様子に喜びながらも なんだろうこの、湿った綿のような気持ち。 きっと近ければ近いほど重く 現実を目の当たりにするほど、深い。
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