ようやく、老人会副会長を退任出来ることになった。
いや、もろもろの役員から解放してもらえそうである。
これからが、ようやく、悠々自適ということである。
振り返ってみれば、定年の数年前から、自治会副会長を三期六年、農水環書記を二年、老人会副会長を二年、その間に、人権擁護委員を二期六年、グラウンドゴルフ同好会の会長・副会長合わせて十年その間に市の体育協会傘下のグラウンドゴルフ協会役員兼任が二年、山林組合副会長三年、さかのぼって若いころには、地元自治体に消防署がなかった頃に消防団員十年そしてこの間の火災出動が四回、高校生までさかのぼれば青年団、さらに中学の同級生の市会議員立候補での街頭立会演説や個人演説会での応援演説を含めた応援。
この中でも、人権擁護委員や選挙応援演説などは、法や政省令などを意識して活動や演説を行うわけであるが、そのあたりの機微の微妙な加減を心得ておかなければならないものである。
また、消防団員活動では、自己の安全確保が第一であり、安全意識・知識を得るに大変ありがたい経験であった。
などなど、
これらの全てが、無報酬か報酬があっても寸志ていどのものばかりである。
特に、人権擁護委員は後払いで支払いを受ける実費交通費のみで完全無報酬であった。
やってるときは、しんどい思いが多かったが、終わってみれば、みな、懐かしいことばかりである。
庶民のこのように無報酬か実費に毛の生えたような僅かの報酬でのボランテイア仕事でこの国は成り立っていることを、しっかりと実感させてもらった。
お陰さまで、オリンピックにしろ豊洲問題にしろ森友学園問題にしろ、すべからず大衆庶民の目の届かないところで庶民には想像すら出来ないような大金が動いている筈である事をうかがい知ることが出来るとともにそれらは公権力によっていとも簡単にもみ消せることもうかがい知ることもできる。
テレビなどがいくら騒ぎ立てても、そのテレビ局ですら許認可権を握られている以上、追及の範囲はおのずと限られているであろう。
新聞などのマスコミでも記者クラブに属してぶら下がり取材をしている以上、やはり限界があると想像するに難くない。
やはり、これらのニュース・記事などから、その裏や真相を類推するワザを身につけるに越したことはない。
そして、高名な方々や、高給取りの方々や、大きな権力を持っている方々でも、金権力のためには己を捨ててでもすがりつくほどだらしがない人間なのだな。・・・と考えると、人間としては哀れにさえ思えて、思わず笑ってしまうものである。
もっともらしい職業の人々であればあるほど、高笑いがこみ上げてくる、というものである。
しかし、老後の健康管理にとっては、お金では買えない非常に貴重な経験ばかりであった。
『若い時の苦労は、買ってでもしておけ』とは、私にとっては、このことだったかも・・・
特に、『若い・・・』と云う意味は、それが勤められる知力・体力のある間・・・と考えてみれば私の人生としては納得が出来るものがある。
人生が豊かであることこそが、幸せであるともいえそうである。
お金と物質と時間がいくら沢山あっても、心が満たされなければ、人生、侘びしいものであろうな、と、・・・・思うことは難くない。