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カテゴリ:読書/歴史系
建国以来、幾多の困難を乗り越えながら版図を拡大してきた帝国ローマ。
しかし、浴場建設で現代にも名前を残すカラカラの治世から始まる紀元三世紀の危機は異常だった。 度重なる蛮族の侵入や同時多発する内戦、国内経済の疲弊、地方の過疎化など、次々と未曾有の難題が立ちはだかる。 73年の間に22人もの皇帝が入れ替わり、後世に「危機の三世紀」として伝えられたこの時代、 ローマは「危機を克服する力」を失ってしまったのか。 ローマ人の物語(32) 待ってましたの「ローマ人の物語」文庫新刊です♪ この巻は、カラカラ帝の時代から。 ちなみに現在ものこっている遺跡カラカラ浴場は、この人の時代に造られたものですね。 先帝セブティミウス・セヴェルスは、 後継者として、息子のカラカラとその弟ゲタの二人を共同統治者として指名していたのですが、 カラカラは、邪魔な弟ゲタを殺害して、一人で統治を始めます。 なんとも血塗られた幕開けです。 カラカラがやった最大のことと言えば、 それまで市民権を持っていなかった属州民にもローマ市民権を与えたこと。 つまり、ローマ帝国領に住むすべての人が、生まれながらに平等の権利を得ることになったわけですね。 このことは、現代の人権擁護の立場からみれば、うるわしい政策とみえるかもしれませんが、 そう簡単にものごとは進みませんでした。 塩野さんが書かれているように、 誰でも持っているということは、誰も持っていないと同じこととなり、 ローマ市民権は魅力を失い、魅力を感じなくなれば、気概がなくなる。 市民権に附随する義務も責任感も感じなくなる。 つまり、ローマらしさの根源、 ローマ市民であるという誇りが、失われていくことにもなってしまうわけです。 共産主義国家の労働者が、平等であるがゆえに無気力になっていったのとちょっと似てるかも。。 このカラカラ帝の全員ローマ市民化は、増税対策だったとする研究者が多いようですが、 どうやら実際は、増税にはならなかったようです。 その理由は、この本の中で、塩野さんもいろいろ推察しておられます。(それは本書を読んでね) のち、アレクサンデル・セヴェルスの時代になり、 それまで市民権所有者に認められていた裁判での控訴権などがなくなってしまったのも、 ローマ市民が増えすぎたためともいえます。 帝国民平等化は、思わぬところで社会の歪みを生み出していったようです。 カラカラは、在位六年で、パルティアと交戦中に兵士に殺害されてしまいます。 次の皇帝になったマクリヌスは、在位一年で、これまた兵士により殺害。 そして次に皇帝になったのは、カラカラの叔母ユリア・メサの孫である14歳のヘラガバルス。 ヘラガバルスはシリア属州の生まれで、太陽神に仕える神官だったので、 ローマでもオリエント・スタイルを強行し、不評を買ったようです。 この人も在位四年で殺害。 そして次に皇帝になったのは、同じくユリア・メサの孫であるアレクサンドル・セヴェルス。 この時、13歳。 生真面目で勉強家なコだったようで、平和な時代ならいい皇帝になったかもしれませんが、 おりしも東方では、パルティアが滅び、新たに興ったササン朝ペルシアがローマを狙い、 さらに北方では、ゲルマン問題も起こります。 結局アレクサンドルも、在位13年で兵士に殺害されてしまいます。 いやはやホントに忙しい時代ですねー。 そして次は、軍人皇帝の時代へと入ります。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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