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昨日大学内で雑誌を発行している
SPCという団体のインタビューを受けてきた。 テーマは国際交流について。 海外へ行くという体験が持つ意義みたいなものを 特集するみたいだ。留学生と二人で、写真つきで 載るらしい。 ○ そこで聞かれた質問で考えたことをねたに、 改めて2年前に一年間過ごしたアメリカでの 体験を振り返って、その意義考えてみた。 俺が行ったのはアメリカのコロラド州。 夏は暑く、冬はマイナス15度とか20度になる。 中心にちょっとした都市があって、あとは ひたすら山が広がっている。 ロッキー山脈が通っていることもあり、スキー場で有名だ。 日本でいえば北海道みたいなところを想像してもらえば 割と近いと思う。 日本人は少なめ。白人が多くて、6割くらい!? あとはスパニッシュ、アジア系、アラブ系、ヨーロッパ系 がそれぞれ同じような割合で混じっている感じか。 ヨーロッパ系は若干少なめかな。 そこで半年間語学学校、半年デンバー大学に通った。 住んでいたところは大学の寮。 4学期のうち、2学期はアメリカ人の ルームメイトと住んでいた。 大変なこともあったが、 学ぶことの多い一年だった。 ○ そもそもなんでアメリカに留学したくなったか、 から書き始めてみようかと思う。 自分なりに理由は大きく3つ。 ○ まずは、語学力がつけたかった。 せっかく6年間英語を勉強してもしゃべれない英語しか 身についていなかった。 常に英単語を覚え続けたり、 文章を読み続けないと英語力を 保つことができない。 そんな勉強方は間違っていると思ったし、 使える英語を身に付けるためには まず会話ができなくては、と思った。 文章だけでは使う英単語の量が少ないのだ。 一つの会話の中では文章の数倍、 数十倍の単語数が必要になる。 ○ 英会話学校でもいいだろうという話もある。 なぜ留学だったのか。 それは、英会話学校だと成長のスピードが 遅いと思ったからだ。 留学すると、生活の中で常に 英語をしゃべらなくてはいけない。 勉強も英語、友達とふざけるのも英語、 映画も英語、本も英語。 寝ても覚めても英語なのだ。 人間は環境に適応してゆこうとする。 英語なしではやっていけない環境を 作ることで、常に英語上達への モチベーションが存在していることになる。 英会話学校だと、教室にいる数時間だけ。 成長のスピードが違うと思うのだ。 ○ 二つ目の理由は、アメリカのビジネスの すごさを知りたかったということだ。 もともとビジネスに興味を持っていたのだが、 アメリカのビジネスの すごさを感じることが多かった。 ビジネスの理論もほとんど アメリカから輸入された理論。 GE、マイクロソフト、DELLの本を読んだり、 当時のITバブルのアメリカ経済の 成長ぶりを見ていたりして、 アメリカのすごさのわけを知りたい、と思ったのだ。 その一つはアメリカの教育にあるのではないか。 そう考えたのも一つの理由だ。 ○ もう一つの理由が、自分の価値観を広げたいということだ。 自分が持っている常識、価値観というものを 考えたとき、それが世界から見たら非常に 偏った価値観であるのでは、と思ったのだ。 大学一年の時、自分の価値観が形成されて来た環境を考えた。 世界の60億の人口のうち、 自分が接してきた人たちというのは、 非常に似た一定の価値観に縛られた人たち であることに気がついた。 ○ 幼稚園から私立、一貫校で高校まで。そこに集まってくる時点で かなり限られた一部の人たちである。 浪人時代でかなり多様な価値観に接して、 一つ自分の枠は広がった気がした。 ただ、それでもまだ大学を目指す人って、 日本の中でも一部の人だし、 世界で見たらなおさら狭い。 そうしてできた常識を当たり前だと思って、 それにしばられて選んだ自分の将来っていう やつがいやだった。 ○ しかも、そんな環境が楽しくて、 満足しかけている自分がいた。 友達も沢山でき、サークルも充実して、 勉強もそれなりに要領よく立ち回り。 でも、もっと色々な可能性があるはずだ。 もっと広い世界を見たい。 そのうえで、自分の将来を考えたい。 そう思ったから外に出た。 今の自分が通用しない、 当たり前が当たり前ではない、 文化の壁、価値観の違いにぶち当たりたかった。 ○ おそらくこの三つ目が、強烈に自分を動かした原動力だと思う。 自分の人生、一度きりの人生。 枠にはまって、なんとなく幸せな人生はいやだった。 それでとりあえず日本を飛び出た。 出てみたら自分の世界が広がっていった。 留学中には数々の困難にも直面する。 その話は次回の日記で。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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