第8章 北朝鮮講座 #2
写真は祖国統一三大憲章記念タワー 全民族大団結を目標とする10大綱領がある。(1994年に考えられたみたいだ)それを簡単にいうと「共存共栄。誹謗中傷(ひぼうちゅうしょう)をやめる。停戦条約を平和条約にする。統一に貢献した人々を大事にしよう」というものだ。 金日成主席が13歳の時に(1925年)統一するまで帰ってこないといって出かけた。米英ソによるポツダム会談、1941年日ソ平和条約、そして米ソが勝手に朝鮮半島を分けた北緯38度線から北は元関東軍、南は大本営が管理していたのでそう分けた。アメリカは沖縄戦で2万人が死亡、そのため朝鮮に行く余裕はなかった。そこで原爆を落として、8月15日終戦となる。ソ連は北緯38度以南は侵攻していなかった。アメリカは9月8日インチョルにやってきた。そのときから2つに分かれた。 1950年、アメリカが朝鮮半島を統一することを目的に戦争を仕掛けた。(1948年、朝鮮人民軍ができる)1953年5月27日に(北朝鮮人民軍は)ソウル開放した。 1892年には、シャーマン号事件が起こった。朝鮮人は火で攻撃した。米・伊・英・日が朝鮮にやってきた。 1993年核兵器問題で米朝会談があり、核兵器を放棄した。その代わりに、軽水炉(原発)を10年でつくるといったが、未だにできていない。北朝鮮が核兵器を持っているか私は、わからないが、南(朝鮮)は、核兵器を持つアメリカが1万発持っている。1kgで広島20万人の犠牲者をだした。(北朝鮮は)自分たちを守るため。1995年・96年において経済に厳しくなったが金正日は軍事力を強化した。そうでないと弱いときに、攻撃されるかもしれない。これを先軍政治(軍隊に力を入れる。不景気なときに自分たちも頑張る)という。 経済力も食料もないが、何もないといわず頑張ってつくろうということで現在、ジャガイモの生産に頑張っている。また、ナマズを工場の廃熱でつくっている。自分のことは自分でする。今の北朝鮮におけるスローガンは『行き道は険しくても笑顔でいこう』『今日だけではなく未来に行きよう。今は苦しいが、精神で持って行けば将来のため、自分たちの息子のために頑張ろう』『本当に苦しいが、意気込みで頑張っていこう』。さらに,車内で「北朝鮮講座」はつづく。人気blogランキングへ