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カテゴリ:人生訓
陰暦11月の中で、陽暦12月21日か22日。冬至は暦の上では冬の最中で寒さの厳しい時期だが、この日を境に日脚は伸びていく。「冬至冬なか冬はじめ」といわれる。この日は、柚子湯を立てたり、お粥やカボチャを食べて無病息災を祈る。
冬至は太陽の黄経が二七〇度に達し、わが国のある北半球の正午の太陽の高さが一年中で最も低く、昼がいちばん短い日。 現行の新暦では12月21日か22日。 中国前漢武帝の時の太指史令だったが、匈奴に降った李陵を弁護して宮刑に処せられた司馬遷の歴史書『史記』天官書に 冬至、短、極まり、土炭を県く、 炭動き、鹿、角解け、蘭根出で、 泉水躍る。略ぼ以て日の至るを 知り、晷景を要決す……。 とあり、当時の宮廷で土と木炭とを衡に県けて冬至の時が測られ、またここには出ないが八尺の棒の影の長さによって冬至の到来が知られたようだ。 晷景とはこんにち言う日時計。要するに、冬至を太陽の運行の出発点として、暦が定められた、ということだろう。同じく漢代編集の周末以来の儀礼の書『礼記』月令・仲冬には 日の短きこと至れり、陰陽争い、 諸生蕩く、君子斎戒して、処るときは必ず身を掩し、身寧からんことを欲す。 声色を去り、嗜欲を禁じ、形性を安んず。 事は静ならんことを欲し、以て陰陽の定まる所を待つ。 とあり、陰の気と陽の気との相争う時なので、君子たる者は諸事をつつしみ、一陽来復の時を待つことが期待されたようだ。 門前の小家もあそぶ冬至かな 雑煮くふ冬至も昼の日ざしかな 書記典主故園に遊ぶ冬至かな 天文の博士ほのめく冬至かな 燈心をそへて遊ぱむ冬至の夜 順に凡兆、太祗、蕪村、召波、蝶夢。俳諧時代の冬至の句にしきりに「遊ぶ」の語が出るのも、遊興ではなく諸事をつつしむ続きの生業を休む意味ではあるまいか。 俳句時代に入ってからも乙字の 「疎かりし隣に遊ぶ冬至かな」がある。 冬至に冬至弼や冬至南瓜、冬至蒟蒻などを食べ、冬至湯に入るのもつつしみの変型か。 冬至粥土鍋の蓋のことことすいづくにか在りたる冬至南瓜切る 不揃ひの冬至蒟蒻坊泊まり 冬至湯の煙あがるや家の内 をみなごのひとりあそべる柚子湯かな 順に泉雨、爽雨、緑生、普羅、展宏。冬至湯に柏子を入れるのは太陽の象りもあるか。 我が家でも今宵は柚子湯に浸かって体を温める事と致しましょう。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023.12.22 08:33:53
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