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高尾山のふもとから

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高尾すみれ

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緑と清流 神秘家の庵さん

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2010.03.07
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カテゴリ:古代文明
   プリムラ
プリムラ

平家は元々関東で猛威、いや勢力を振るっていた。
その代表は平将門であり、一時は新皇と称していた。
成田山新勝寺は、朝廷が新しい敵つまり将門に勝った時に建立された。
将門は関東に新しい国を造ろうと思っていたが、主導権争いが起きたため、平定盛や藤原氏によって討たれてしまった。
武士は戦争がない時には、黒米を一日五合、朝と夜に分けて食べていた。
蒸して強飯にし、一汁一菜が常だった。
戦争になると、主食は8合から1升に増え、携帯するために乾燥させた干飯にし、それを湯で柔らかくして食していた。
征夷大将軍の坂上田村麻呂は、平安京遷都を行った桓武天皇の命を受け、東北征伐に向かったが、強飯を木や竹の葉に包んで固めた握り飯を食していた。
源氏物語にも、それは屯食という名で登場する。
その後、携帯しやすいので、兵の食料として日常的に浸透し、塩味や、梅干、味噌の焼いたもの、鰹節などを入れて、竹の皮で包んで持っていった。
一方源氏はたんぱく質を摂取していたため、平家に比べて体力があったらしい。
平家にあらずんば人にあらずなどと言って、天下を思い通りに動かしていた平家が、源頼朝、木曾義仲が挙兵したと思ったとたんに滅亡してしまったのは、その食生活の異いにあったのかもしれない。
武士でありながら公家を気取っていた平家は、精進料理のようなものを食していたが、関東武士、開拓農民で構成されていた源氏の主力部隊は、動物性たんぱく質や脂肪分を充分に摂取していた。
それが、圧勝の原因の根底にあったことは間違いなさそうだ。
日本軍が肉食人種に負けたのも、大方その食糧事情によったのかもしれない。






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Last updated  2010.03.07 16:27:21
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