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高尾山のふもとから

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高尾すみれ

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緑と清流 神秘家の庵さん

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2010.03.14
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カテゴリ:歴史・歴史的人物
   花1

捕鯨やイルカ漁は止めた方が良いと思います。
食文化とはいえ、私はクジラもイルカも食べたいとは思いません。
世界中から敵視されるようなことなら、しなくても済むでしょう。
そうすればオリンピックで金メダルが取れるんじゃないですかね。


幕末の女

夫新島襄とともに同志社大学を設立し、日本の女子教育に尽くした新島八重子は、会津藩砲術師範の娘である。
京都を追われた佐幕派の松平容保は、会津若松城に立て籠もり、官軍に取り囲まれ、城中一丸となって応戦していた。
女子供も薙刀などで武装し城内へ入った。
八重子は、「私は砲術師範の娘でございます」と言って、スペンサー銃を担いで入城し、男装して大砲隊を指揮した。
その頃八重子は、会津藩の客分川崎尚之助と結婚していたが、尚之助は藩士ではなかったので離婚してしまった。
城を挙げての奮戦虚しく、若松城は落城し、八重子は捕虜になった。
しかし女であると分かって追放され、伝手を頼って京都へ行き、しばらくは魂が抜けたようになっていた。
そんな折、彼女の兄が、女子に読み書き、算盤、裁縫を教えて、女子の自立を助ける教育をしようとしていた。
そこで八重子も教鞭をとりながら、自分自身も新しい学問へ挑戦し、5年後、新島襄と知り合って再婚した。





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Last updated  2010.03.16 06:29:59
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