カテゴリ:歴史・歴史的人物
銀閣寺って、銀で出来ていると子供の頃思っていた。 銀閣寺の正式名称は慈照寺という臨済宗相国寺派の寺の観音堂。 建立したのは、父と兄が相次いで亡くなったため、八歳で将軍になった足利八代将軍善政。 彼は元々政治よりも文化的なことが好きな人で、妻の日野富子は、日本三大悪女と言われる人で、善政は気の強い奥さんに頭が上らず、仕事も嫌いで、将軍には不向きな人だった。 そのため、将軍職と妻から離れたいと望み、さっさと息子に将軍職を譲って、隠居してしまった。 東山に山荘を建てて移り住むと、さらに大規模な工事を始め、東求堂という観音堂を建設し、それが後に銀閣寺と呼ばれるようになった。 この観音堂は、室町時代の楼閣庭園建築で、現存する唯一の建造物として、国宝に指定されている。 義政の宗教観を託して造られたもので、第一層は心空殿、第二層は潮音閣と命名された。 銀閣寺なのに、銀は一切使われていないが、どうして銀閣寺なのか。 時代は応仁の乱の最中で、工事は遅れ、ついには義政は完成を見ることなく亡くなってしまった。 当初の計画では、義政の祖父、足利義満が建立した金閣寺を意識して、銀箔を張りめぐらす予定だったが、資金難から実行されなかったのか、あるいは義政亡き後、未亡人の日野富子が、資金はあったのに出さなかったのか、銀箔が張られることはなかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.04.04 16:12:21
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