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ピッコロ達と花と私のブログ

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2018.11.25
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カテゴリ:青山繁晴さん
平成30年の憂国忌
楯の会の皆様や有志の方々が、半世紀近いこの48年間
ただの1回も欠かさず続けて下さる催し。


東京だけでなく福岡を始め各地でも


平成の御代代わりだからでしょうか?
今年の憂国忌のネットパージに今上天皇様のお写真も....


三島さん、日本の若者は素晴らしいですよ


青山さんが三島由紀夫氏を語られることは非常に少ない
人によっては「青山さんの生きざまを三島氏になぞらえる」方が居られて
ご自分では「三島氏に似ていない」と強く否定なさることも....
でも、青山さんは
「三島氏はぼくたちの為に死んでくれた」とも仰います。

50年前の日本と言えば
共産左翼が暴力革命を目指し「皇室の存在を許さない」と
宣言していました。
三島氏が設立した武器を持たない軍団「楯の会」は
万が一皇居に革命分子が攻め込んだ時‘’警察が来るまでの数分間”
身を挺して「皇室ご一家をお護りする」ただその目的だけに
フォーカスした組織.....だったと私は、ずーと考えてきました。
その考えは今も変わりません。

「天皇制を始め伝統と文化を護る」ことこそが日本を護ること!
...が三島氏の思想の根幹でした。
三島氏が残した対談(決起1週間前)には
「日本人が共産主義を選ばない」とか「自衛隊が何の思想にも帰属せず
ひたすら国を守る」と言う確信をもたれ、それを「明るいニュース」と
表現なさっています。

三島由紀夫氏が自決した壮絶な事実は
今以上に傲慢なマスコミの切り取り偏向報道によって
国中が単なる騒動と思い込まされ、国外にもばらまかれました。
でも当時、第一線で働いていたインテリサラリーマンの中には
三島氏の行動を「敗戦国憲法に体当たりした自決だ」と
表現なさり、三島氏を惜しむ方々が沢山居られました。
(彼らは表向きそれぞれ組合組織に加盟しデモ行進も参加していました)
この底流が有ったからこそ
日本は世界から賞賛される天皇制と文化と伝統を護って来れたのです。
ソビエト連邦の崩壊はもとより
中国共産党の現状や北朝鮮の国民の方々の様子を聞くとき
あの美しく耳触りの良いキャッチフレーズ「万人平等、貧富の差なし」
日本国を共産国にするために画策し広められた数々の共産革命運動
その熱病にも美味しい餌にも巻き込まれず、
ひたすら汗をかき、働き続けた同胞を忘れないで頂きたいと思います。
私は、何時もいつまでも限りない感謝を捧げて参ります。









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最終更新日  2018.11.25 14:12:39
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