テーマ:道徳。(180)
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偉そうにするわけでも、
自身の文章能力を賞賛するわけでも、 また卑下するわけでも無いですが、 俺の文章は読解力が必要です。 「言った」方より「聞いた」方にその言葉の意義は生まれる。 つまり言葉の責任は読者にあると。 あまりにも感情論が先行している現在、 そのような言い分はとても「鬱陶しく」感じる方も多いでしょう。 責任転嫁だとか、責任放棄だとか。 事実を伝える事が目的の報道ですら今は効果音をふんだんに使用し、 キャスター(製作者サイド)の主観を随所にちりばめ、 劇的な字体のテロップがぞろぞろ現れる。 見出しはもちろん悲劇、感動、衝撃。 流し観しているだけで 「答え」が着想出来る仕組みになっている故、 「思考力の要らない情報」 に慣れてしまっているんです。 本来、自身から生み出される感情までもが 与えられてしまっている。 思考力とは一体何なのか。 読めるとは目で追える事では無く 理解できる事を指している。 自身の中にある責任を消化してこそ、 初めて他者の責任を問える。 文章は読み手が主体です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.04.10 08:17:06
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