テーマ:道徳。(180)
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生の存在を認識した時点で生は存在を持つ。
つまり生まれた理由や目的、果ては生自体は、 生の存在を認識するまで「無い」 無いものへのアプローチは不毛以前の問題だという認識。 ココに消しゴムが無いのに、 「ココに消しゴムがあると思った上で、消しゴムの存在意義を求めよう」 な~んて、それこそ無の境地だってね。 俺が理念の中に宗教を取り入れないのは、 そういった馬鹿馬鹿しさからなんだ。 そう、まさにそこは虚像なんだ。 あると仮定した上で、さて考えようってね。 生の意義って、希求することなんだと思う。 誰もが欲しいが誰もが手に入れられないというジレンマ。 ものすごいネガティブだけど、それが生の意義であると。 そのジレンマから開放される為に目的意識があって、 その状態が命を支えているんだろうって。 人類が知能を持った時点、すごく初期の段階で神仏の存在はあったはずだよ。 今動く理由なんて突き詰めたらジレンマしか感じられないんだから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.04.29 08:43:16
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