テーマ:道徳。(180)
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結局現実の悲劇に痛痒を感じながらも平坦に生活出来る。
飢餓地域の映像を見た後、たらふくご飯を食べられる。 さすがに身内が飢餓に苦しめば、慎む事も出来るが。 つまりことごとく人は残酷に取捨選択出来るって事だね。 実際の生活に直接影響しても、どこかで客観的に見ている。 リアリティはあくまでも縮小されていなければ感じない。 肉体的な痛みも「骨を折る」と「擦り傷」ならば、 実は本当に「痛い」と感じるのは擦り傷であるように。 温暖化によって巡って来る被害と自身の行いは概念で理解出来ても、 結局日常とは結びつかない。 節電・節約を意識して、節約術の本や映像を観ていたりすることに、 何ら違和感を感じなかったりね。 漠然とPC付けて、漠然とご飯を残し、漠然と環境問題を考える。 環境問題と言って、 スーパーで買った途端の鮮魚のパックをリサイクル箱に入れ、 備え付けのビニールに入れて持って帰る。 漠然と考えているから違和感を感じない。 実は考えていない人の方が「エコ」であったりする事も。 結局漠然と意識することの方が、問題意識を持てなくなる事もある。 生き死にの問題からエコの心まで、 突き詰めるとどうしようもないからと 全てにおいて中途半端な思考を持つ事の害悪は、 無視できないところまできている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.05.04 10:11:33
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