テーマ:道徳。(180)
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こんな流れを見ていると直接的な事以外は実は
完全なフィクションとして認識しているんだろうと思う。 じゃなきゃ報道で殺された人の生前の画像や映像が流れた時点で、 怒りで精神が破綻してもなんらおかしくないはずなんだ。 それを繰り返し繰り返し生前の様子を流されていても、 何の痛痒も感じないのは好奇心の凌駕なのか、 それとも現実味を一切感じないからなのか。 皆それぞれ「生きる」という事を意識して 暮らしているんだろうけれど、 凄く狭い。 凄く簡素な方法論みたいなものが 出来上がっているんだろうと思う。 子供が自殺をする。 それは何て解っていないんだと思う反面、 その程度の月日で十分「生きた」と思える程の 方法論が確立しているんじゃないかってね。 突き詰めるという事がもう明らかに異常な方向へ向いている。 オタク?マニア? なんだか知らないけれど、少女の人形集めて喜んでる。 それさえも正当な一つの突き詰めた形になっていて、 それはつまり生きている事そのものに対して 突き詰めていく方向が無くなっているんだと思う。 そこそこの突き詰めた気分をいくらでも味わえるから。 恋愛も雰囲気で十分楽しめるし、 汗をかかなくてもセックスの快楽も理解できる。 足使わなくても世界中の景色を愉しめる。 そういう○○気分によって呆けてしまったんだ。 直接的な事に対してだけリアリティを感じる。 処理能力がもう完全に後追いなんだ。 アラブの富豪が餓死寸前の子供を見た後すぐに腹いっぱい飯を食えるような、 そんな異常な精神状態が一般の人たちにも芽生えてきたんだ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.08 17:26:45
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