テーマ:道徳。(180)
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正論と本音がかけ離れていくことに矛盾を感じる事が出来れば、
今ある幸せ、不幸せに対して猜疑心を抱く事も出来るけれど。 ほしいものが手に入ると人はいつしかその感動を忘れて、 それが普通になって最後はどうでもいいことに変わる。 それを有り難いと思え貴重なものである事に気付くのは、 大抵失くした時なんだ。 それはつまり本音が正論にやられてしまった瞬間。 そこで初めて猜疑心を持ってしまうのは不幸だよ。 馬鹿で惨めで恥ずべきことだとは思うが、 それに気付かずに生涯を終えるのであれば、 それも一つの幸せの形だとは思う。 大抵それに類じたく思い、開き直るのがオチなんだ。 それは単に尊厳を削るだけの惨めな行為だと理解しながらね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007.06.11 09:34:06
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