パクス・ジャポニカ Vol.2

2022/02/11(金)13:39

柴又帝釈天(東京・葛飾区)

城跡と史跡(東京編)(91)

「男はつらいよ」でおなじみの柴又帝釈天ですが、経栄山題経寺というのが正式名称です。 自宅が柴又街道沿いにあるので、そのまま柴又方面に真っ直ぐ行くと参道の入口なのですが、参道は混雑していたので、回り道をして山門に向かいました。 「男はつらいよ」でもよく登場する山門「仁天門」 仁天門から見た参道 お正月の初詣の時ほどではないにしても、ちょうど「庚申」の縁日なので境内も人がいっぱいでした。 本堂 鐘楼 源公(佐藤蛾次郎)が撞いていた鐘です。 「柴又帝釈天」の題経寺は江戸時代の1629年に開基されましたが、日蓮が刻んだとされる「板本尊」は行方不明となっていました。 1779年に第9代の日敬が、改修中の本堂の梁の上に板本尊を発見したのですが、この日が「庚申」であったことから、2ヶ月に1回の「庚申」の日が帝釈天の縁日とされています。 板本尊を発見した日敬は、板本尊を背負って天明の大飢饉に苦しむ江戸の市中を回ったのですが、不思議なご利益があったことから柴又帝釈天の信仰が広がっていきました。 昭和になってから、柴又帝釈天の名前を広めたのは、やはり寅さんでしょうか。 帝釈天の裏手には江戸川が流れ、寅さんがたたずんでいた土手が広がっています。 私も江戸川の土手沿いの景色が好きなのですが、ここに座ると心が落ち着くのも、やはり寅さんの影響でしょうか。 「ま~、いいってことよ…」 (寅さん記念館の映像) 関連の記事 国府台城→こちら

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