パクス・ジャポニカ Vol.2

2022/03/09(水)10:52

東海道~日坂宿(静岡・掛川市)

東海道五十三次(54)

金谷宿と日坂宿の間には、箱根峠・鈴鹿峠と並んで東海道の三大難所として知られる「小夜の中山」があります。 牧之原台地に至る金谷坂を登ったかと思ったら、さらにアップダウンの激しい道が続いていました。 この東海道屈指の難所であるこの急坂は、歌川広重の浮世絵にも描かれています。 広重の浮世絵はデフォルメが多いのですが、小夜の中山は本当にこんな感じです。 その小夜の中山を越える旧東海道は、今も旧道の道幅を残しながら続いていました。 その旧街道の途中には久延寺という山寺がありますが、掛川城主であった山内一豊が、関ヶ原に向かう徳川家康を接待した場所でもあります。 久延寺山門。 山内一豊はここに茶室を設けて徳川家康を接待したのですが、その久延寺境内には、曲亭(滝沢)馬琴の「石言遺響」に出てくる「夜泣き石」があります。 夜泣き石 山賊に殺された妊婦の霊がこの石に乗り移り、夜毎に泣いたことから「夜泣き石」と名付けられました。 山内一豊がこの伝説を知っていたのかどうかはわかりませんが、すごい所で接待したものです。 この辺りの旧街道は、当時の面影をそのままに、ずっと細い一本道が続いていました。 小夜の中山の旧街道 途中には江戸日本橋から五十二里目の一里塚が残っていました。 小夜の中山の難所を過ぎ、急坂を下った先には日坂宿の宿場町が続いていました。 静岡県の旧東海道ではおなじみの標識です。 本陣1軒と脇本陣が1軒ずつ、旅籠屋は33軒ほどの小さな宿場町ですが、大井川の川留めの時などは、かなり賑わっていたそうです。 扇屋本陣跡 日坂宿には今も旧家がいくつも残っており、軒先には昔ながらに屋号の看板が掛っていました。 日坂宿最後の問屋役を務めた「藤文屋」 旅籠屋「川坂屋」 日坂宿の建物は1852年の日坂宿大火で焼失してしまいましたが、川坂屋はその後の江戸時代末期に建てられています。 その川坂屋の先には、高札場も復元されていました。 ようやく大井川の難所を越えたかと思うと、さらには小夜の中山の難所が待ち構えていたため、昔の旅人たちは息つくひまもなかったのではないでしょうか。 関連の記事 東海道~金谷宿→こちら 東海道~掛川宿→こちら

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