パクス・ジャポニカ Vol.2

2010/10/04(月)03:07

豪徳寺(東京・世田谷区)

城跡と史跡(東京編)(91)

小田急線の駅名にもある豪徳寺は、世田谷城主であった吉良氏の居館が置かれ、世田谷城の主要部であったと言われています。 豪徳寺の山門 世田谷城主であった吉良政忠によって、1480年に建立された弘徳院が豪徳寺の前身とされ、後に臨済宗から曹洞宗に改宗されました。 江戸時代に入って彦根藩の世田谷領が成立すると、1633年に彦根藩主井伊直孝(井伊直政の次男)が井伊家の菩提寺とし、井伊直孝の法号から豪徳寺と改称されています。 井伊直孝の娘である掃雲院によって多くの堂舎を建立・寄進し、豪徳寺を井伊家の菩提寺に相応しい寺院へと改めました。 三重塔 仏殿 1676年に掃雲院によって建立されたもので、当時から現存している建物です。 鐘楼 1679年に建立され、仏殿と同じく現存しています。 豪徳寺は招き猫発祥の地とされており、境内には招猫観音を祀る招猫堂がありました。 彦根藩主であった井伊直孝が豪徳寺の前を通りかかった時、寺の飼い猫が門前で手招きするような仕草をしました。 そこで井伊直孝が寺に立ち寄って休憩していると、突然雷雨が降り始めたため、猫のおかげで雨に遭わずに済んだことから、井伊直孝は喜んで豪徳寺に多くの寄進をしたとされています。 (さらにはこれが縁で、豪徳寺は井伊家の菩提寺となりました) 招猫堂の中を見ると、招き猫がずらりと並んでいました。 豪徳寺では招福猫児(まねぎねこ)と呼ばれ、彦根城の「ひこにゃん」のモデルでもあります。 招き猫の縁で井伊家の菩提寺となった豪徳寺には、井伊直孝以降の井伊家代々の墓所が置かれています。 初代井伊直政の墓所はありませんでした。 徳川四天王の井伊直政から続く井伊家ですが、やはり井伊家と言えば、幕末の大老であった井伊直弼が有名かと思います。 井伊直弼墓所 松陰神社(吉田松陰の墓所)がすぐ近くにあるのですが、なんとも皮肉な感じがします。

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