パクス・ジャポニカ Vol.2

2011/04/03(日)08:17

赤間神宮(山口・下関市)

城跡と史跡(山口編)(62)

平氏による貴族政権の終わりと、源氏による武家政権の始まりの転機となった壇の浦の戦い、その舞台となった関門海峡を望む場所に赤間神宮があります。 赤間神宮より関門海峡 竜宮城を模して造られた水天門 拝殿 1185年の壇の浦の戦いで入水した安徳天皇は、赤間関にある阿弥陀寺に埋葬されました。 1191年に朝廷の命によって御影堂が建てられたのが赤間神宮の始まりです。 明治になって阿弥陀寺は廃寺となり、神社として官幣中社に列せられています。 赤間神宮境内にある安徳天皇陵 また壇の浦の戦いで敗れた平氏一門の墓所もありました。 赤間神宮の前身である阿弥陀寺が舞台となったのが耳なし芳一の物語です。 耳なし芳一は阿弥陀寺に住む琵琶法師で、平氏の亡霊に招かれた時、全身にお経を書いたのは阿弥陀寺の僧侶でした。 赤間神宮の境内にはその耳なし芳一の芳一堂があります。 歴史の舞台によく登場してくる関門海峡ですが、時代は下って幕末になると、高杉晋作率いる奇兵隊がここを本拠地としていました。 赤間神宮の隣にある極楽寺には、奇兵隊屯所の碑が建っています。 平氏の貴族政権から源氏の武家政権へ、そして封建的な近世軍隊から身分を廃した近代軍隊へ、また日清講和会議による日本の植民地支配へ、潮流ようにまさに時代の潮目なのかも知れません。

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