パクス・ジャポニカ Vol.2

2022/04/05(火)16:07

東海道箱根宿(畑宿~元箱根)

東海道五十三次(54)

畑宿から先の東海道は、石畳もよく残っていて、急坂も当時のままに残っていました。 橿の木坂 「東海道名所日記」には「けわしきこと 道中一番の難所なり」とあり、「おとこ かくぞよみける」として、灰色ウサギさんのコメントにもあったようにこう書かれていたそうです。 「橿の木の さかをこゆれば くるしくて どんぐりほどの 涙こぼれる」 橿の木坂を越えると須雲川沿いを行くようになり、現在は「須雲川自然探勝歩道」が旧街道を踏襲していました。 山根橋 甘酒橋 まさに山を飛び、谷を越えといった感じですが、当時の箱根坂で活躍していたのが「雲助」です。 雲助と言えば「足下を見る」の由来にもなったように、どうも胡散臭いイメージがありますが、実際はそうではなかったようです。 雲助になるには三つの条件があって まず一番目、力が非常に強いこと そして二番目、荷造りが上手いこと さらに三番目、歌が上手いこと だそうです。 一番目は当たり前と言えば当たり前で、いきなり非力な雲助に登場されても困ったものです。 それでもこの箱根の坂を生業とするには、並大抵の体力では無理かも知れません。 二番目については、荷物を見れば誰が荷造りをしたかがわかったそうで、箱根で荷造りをしたものは、京都に着くまで荷物が壊れなかったそうです。 三番目は意外ですが、箱根の厳しい山旅も、随分楽しい遊山になったのかも知れません。 そんな多才な雲助たちが活躍した箱根の坂は、1つの坂を越えれば次の坂があるといった感じで、名前を変えながら次々に続いて行きました。 猿滑坂 「殊に危険 猿候といえども たやすく登り得ず よりて名とす」と記録にある難所です。 追込坂 追込坂を登り切ったところで古風な建物が見えてきて、「甘酒茶屋」に到着しました。 当時は箱根だけで9軒の甘酒茶屋があったそうですが、現在残っているのはこの1軒だそうです。 車道にも面して駐車場もあり、ドライバーもハイカーも一息ついていました。 甘酒茶屋で一息つくと、石畳の雰囲気も変わって来て、元箱根が一段と近くなってきました。 風が正面から吹いてくるようになり、芦ノ湖が近いことも実感できます。 その元箱根近くの旧街道沿いに「お玉観音堂」があり、箱根関所の関所破りをして処刑された少女、お玉を祀った観音堂です。 なぜお玉は関所破りをしなければならなかったのか、詳しいことはわかりませんが、少なくとも旧街道の片隅には、少女が命を懸けた歴史の跡が残っていました。 そのお玉観音堂から見ると、二子山の山容がよく見渡せました。 ところで、これまで「上二子山」と「下二子山」の2つで「二子山」だと思っていました。 よく見てみると、上二子山と下二子山がそれぞれ双耳峰になっていて、全部で「四子山」になっていたようです。 左が上二子山で右が下二子山 こちらが上二子山 そしてこちらが下二子山 現在は上二子山、下二子山ともに自然保護のため入山が禁止されています、 これまで箱根の山を歩いていて、「どうも二子山が多いな~」と思っていたのですが、「実は四つ子だったのね」と、ようやく謎が解けました。 お玉観音堂を過ぎると権現坂の緩やかな登りとなり、いよいよ元箱根も近くなってきました。 権現坂 当時の旅人たちも、ここから芦ノ湖を眺めて一息ついたと言われています。 そしていつか見たことのある木製の歩道橋を渡ると、箱根の杉並木の中へ飛び込んでいました。 こちらも「いつか来た道」です ようやくここで東海道がつながりました。 箱根宿の杉並木(2010年2月) 東海道箱根宿の関連記事 東海道箱根宿(元箱根)(2010年2月)→こちら 箱根関所(2010年2月)→こちら 箱根外輪山(箱根峠~湖尻峠)(2012年12月)→こちら

続きを読む

このブログでよく読まれている記事

もっと見る

総合記事ランキング

もっと見る