2017/08/26(土)21:42
高岡城(越中国)~その2
高岡城の本丸には、堂々越中国の一宮、射水神社が鎮座しています。
射水神社
越中国一宮ということは、律令時代から存在していることになるため、歴史的には射水神社の方がはるかに古いことになります。
元々の射水神社は高岡城の北にある二上山にあり、高岡城本丸に遷座したのは明治に入ってからのことです。
とにかく各曲輪が広大な印象のある高岡城にあって、射水神社境内以外の本丸跡も広い印象がありました。
本丸
本丸の東側の水堀は池かと思うほど広くなっており、「中ノ島」の島まで造られています。
中ノ島から見た本丸
中ノ島との間にある「一の橋」
二の橋
まるで泉水庭園のような感じです。
本丸の「対岸」には「小竹薮」と呼ばれる曲輪の跡があり、間には朝陽橋が架かっていました。
朝陽橋
小竹薮
この日も結構な弾丸ツアーで、富山空港に着いた後、まず向かったのがこの高岡城でした。
記事の順番は前後していますが、高岡城の後は越境して金沢城を訪れ、その後は再び越境して増山城・富山城といった慌ただしさです。
それでも富山空港に戻った時、地魚をつまみながらビールを飲む時間は残っていました。
高岡城が築城されたのは、江戸時代に入った1609年のことです。
(江戸時代に入ってからの新たな築城は、かなりのレアケースだと思います)
築城主は加賀前田氏第二代の前田利長(前田利家の長男)で、自らの隠居城とするために築城されました。
(縄張は前述の高山右近とされています)
本丸にある前田利長像
元々前田利長は富山城を居城としていましたが、火災により焼失したため、新たに築いたのが高岡城でした。
前田利長が1614年に亡くなり、1615年に一国一城令が出されると、高岡城も廃城となっています。
それでも藩の蔵などが密かに置かれ、城郭としての機能は維持していたようです。
日本城郭協会「日本100名城」