パクス・ジャポニカ Vol.2

2018/01/11(木)05:39

中城城(琉球王国)~その2

城跡と史跡(沖縄編)(19)

中城城の本丸である一の郭と二の郭の間の城壁にも、グスク特有のアーチ型の門がありました。 二の郭の門 一の郭城壁から見た二の郭全景 二の郭にも拝所があり、「シライ富ノ御イベ」の名前が付いていました。 二の郭の先にある三の郭は「新城(みーぐすく)」とも呼ばれ、後になって増築された曲輪です。 二の郭の城壁から見た三の郭 二の郭から直接三の郭へは行くことができず、西の郭と北の郭の腰曲輪を経由することになります。 二の郭から西の郭へ抜ける門 搦手の埋門みたいに目立たない門でした。 北の郭と三の郭の間には、大手門に大きな虎口がありました。 三の郭虎口 櫓台のような物見台もあったりして、城内で最大の門だと思います。 三の郭に入ってみると、二の郭の城壁が目の前に立ちはだかっていました。 これを登って二の郭に入るのは難しそうです。 再び北の郭に戻り、裏門から城外に出て振り返ると、三の郭の石垣が見えていました。。 アメリカ海軍東インド艦隊のペリーが幕末に中城城を訪れた時、この城壁を賞賛し、アーチ型の門をエジプトのようだと評したそうです。 中城城の築城時期は明らかではありませんが、14世紀中頃に先中城按司が築城したとされています。 1440年に護佐丸が座喜味城から移封すると、勝連の攻撃に備えて、三の郭と北の郭を増築しました。 しかしながら1458年、勝連按司阿麻和利が首里王府軍の総大将として中城城を攻め、築城の名手護佐丸もこの時に滅亡しました。 ユネスコ世界遺産(文化遺産)「琉球王国のグスク及び関連遺産群」 日本城郭協会「日本100名城」

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