パクス・ジャポニカ Vol.2

2018/05/21(月)20:04

ペリーロードと了仙寺(静岡・下田市)

城跡と史跡(静岡編)(55)

下田港に上陸したペリー提督が、約300人の部下を引き連れて行進した道は、「ペリーロード」と名付けられています。 ペリーロード 1854年に日米和親条約が締結されると、箱館(函館)と共に最初に開港された下田ですが、外国人居留地が置かれなかったためか、函館元町のようなエキゾチックな雰囲気はありませんでした。 むしろ水郷地区のようなレトロ感があります。 下田に上陸したペリー御一行が向かった先は了仙寺でした。 了仙寺入口 ペリー一行の応接所となっていました。 了仙寺本堂 日米和親条約の付則である下田条約が締結された場所でもありました。 了仙寺の境内には、黒船ミュージアムが併設されています。 「MoBS」とありますが、「Museum of Black Ship」の略だそうです。 1858年に日米修好通商条約を始めとする「安政の五カ国条約」が締結されると、神奈川(横浜)が開港となり、下田港は閉港となりました。 外国人居留地の置かれた横浜(山下・山手)がエキゾチックな雰囲気を残しているのと対照的に、下田市内には海鼠壁の建物など、伝統的な日本の雰囲気が残っています。

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