パクス・ジャポニカ Vol.2

2018/10/20(土)16:22

高山社跡(群馬・藤岡市)

城跡と史跡(群馬編)(20)

神流川の上流部、支流の三名川の清流沿いに高山社跡があります。 三名川 そんなコミカルに言える話なのでしょうか。 イノシシが出る山あいの中で、高山社の幟だけが妙に目立っていました。 ユネスコ世界文化遺産の構成資産でありながら、高山社そのものは普通の古民家と言った風情です。 長屋門が残っている民家も珍しくなりましたが、現在は修復中のようです。 高山社の母屋 明治維新からわずか40年後の1909年、日本は清国を抜いて生糸の輸出量で世界一になりました。 その背景には、富岡製糸場の「大量生産」の技術だけでなく、高品質を追い求めた「品質改良」があったのは間違いありません。 生糸の原料となる養蚕においては、高山長五郎によって「清温育」の養蚕法が確立されました。 そして高山長五郎が1884年に自宅で開いたのが、養蚕の教育機関である「養蚕改良高山社」です。 高山長五郎像 高山社では、日本国内だけでなく中国や朝鮮半島からも生徒を受け入れていたそうです。 とかく明治の「富国強兵」や「殖産興業」にはネガティブなイメージがついてきますが、日本の生糸が世界に認められ、外貨獲得の手段になったのは間違いありません。 その背景には高山長五郎のように熱心に品種改良に取り組み、さらにそれを後世に伝えた人たちがいたことを忘れてはならないと思います。 高山長五郎は1886年にこの世を去りましたが、その生糸の技術が後の日露戦争での国難を救ったと言っても、決して過言ではないと思います。 ユネスコ世界文化遺産「富岡製糸場と絹産業遺産群」

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