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長崎浦上の松尾竹文が全世界・全国に呼びかけます

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超絶品B級グルメ

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2011.08.13
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平和を長崎から・死にたくないとの叫び

http://blogs.yahoo.co.jp/takefumistay77/21034903.html
 

一粒の種  (一粒の種を世界へ)  

例え僕が帰天しても僕にほんものを教えてくれた西成の釜ヶ崎をみつつけるぞ!! これ以上僕の大切なおっちゃんなどをくるしめるやつは、ほんまい許せんで!!しっかりと覚えとけ""  

一番ショッキングな事件は、1983年、横浜の山下公園で起きた事件です公園で野宿していた労働者が、中高生に襲撃され、殺された事件です。少年たちが、労働者をカゴに入れ、蹴とばして殺してしまいました。殺された労働者は、もと横浜寿町の日雇労働者でした。そこで寿にある日雇労働組合の労働者が、この事件の意味を知ってもらおうと近辺の中学校にビラを配布しました。すると学校の教員たちが、校門のところに立ち、子どもたちにビラを受け取ることを拒否させ、すでに受け取った子どもには、それを用意したクズ篭にすてるよう指導しました。さらに配り続けると校長先生が、警察に連絡するという一場面もありました。これが、13年前の野宿する労働者に対するマスコミも含めての社会の対応でした。それから13年、中学校での実践報告を聞いて少しは変わったのかとも思いました。そして今回の10月18日の藤本さんの事件です。じゃあ、この間、この種の事件はなかったかと言えば、前に申しあげましたように続発していると言っても過言ではありません。とくに寄せ場とその周辺でしきりに起こっています。何月何日、どことは一つ一つ申しあげませんが、子どもたちが、野宿する労働者を襲撃した事件は、枚挙にいとまがありません。東京・山谷ではどうか。中学生たちが、野宿する労働者の髪の毛にライターで火をつけた事件が、山谷のすぐ近くの浅草で起こっています。名古屋では、中学生が野宿する労働者をバカにしました。怒った労働者が中学生を追いかけ怪我をさせました。すると怪我をさせた労働者が刑事犯として裁かれると言う事件も起きています。釜ヶ崎ではどうでしようか。1983年の事件が起きたあとの1985年夏、釜ヶ崎はどうかと釜ヶ崎周辺で遊ぶ子どもたちの実態調査をしました。実態調査をして大変びっくりしました。小・中学生が、釜ヶ崎の公園や路上で休んでいたり昼寝している労働者に、あるいは野宿する労働者にいろんな悪さをしていることがわかりました。つばをかけた・ビンをぶつけた。バカヤローと言った。ケトばした。また日本橋の方では段ボールを集めて生活していた労働者が、夜寝ているときその段ボールに火をつけられ全身に火傷するという事件もありました。新聞やテレビでも報道されましたが、1986年10月には、大阪の四天王寺境内で、3人の中学生が野宿する労働者をエアガンで至近距離からうつ事件も起きています。これについてはあとで少し詳しく申しあげます。福岡でも起きています。1988年1月、やはり野宿生活をする人が、中学生グループから石をなげつけられ、抗議して中学生たちを怪我させるというものです。とにかく寄せ場とその周辺で事件が続発しているのです。四天王寺境内の事件とは、マスコミもとりあげましたが、遠い原因は、近くの天王寺公園で行われた1987年の「天王寺博覧会」にあります。大阪市は、博覧会開催のために会場の天王寺公園で工事をはじめました。当然、公園を利用していた労働者や野宿を強いられていた労働者は公園を追い出され、近くの四天王寺境内に避難しました。多いときは一00人近くいました。その労働者を中学生がエアガンで襲撃して、こううそぶいたのです。「抵抗しないから面白い」。天王寺公園は、1903年内国勧業博覧会の跡地として出発しました。このときに、実は、釜ヶ崎が出来たのです。会場の沿線に住むスラムの人々が、博覧会に行く天皇のめざわりだと強制的に今の釜ヶ崎に移住させられました。それから約80年、博覧会のために公園を利用していた労働者が排除されました。王寺公園を、日中は労働者が自由に使っていました。歌をうたったり、昼寝したりです。博覧会のテーマは、「いのちいきいきー人・いきものの共存をめざしてー天王寺博」でした。どうも大阪市の考え方では、釜ヶ崎の労働者のいのちは、対象外にみえます。工事のために追い出され、さらに博覧会後は、グレイドの高い公園にするといってまた閉鎖されました。そして公園が再開されたときは、有料化されていました。グレイドの高い公園にし、有料化しこれまで自由に出入りしていた釜ヶ崎の労働者の排除に成功しました。そんな過程で実は、四天王寺境内のエアガン事件は起きたのです。大人社会が、野宿する労働者を襲撃することを奨励しているとも言えます。だからこそ、事件後、子どもたちが「抵抗しないので面白い」などと言えるのです。子どもたちが独立して事件を起こしているのではなく、今の大人社会がこの結果を生みだしていると見るべきです。くり返し、くり返し起こって来るのは、そのためです。抗議の声も小さくて、なかなか防ぐことが出来ません。 少々、手前味噌の話になりますが、1983年の横浜の事件のあと、子どもたちの実態調査をふまえて、少しでもいい方向に事柄が進むことを願って、子ども夜まわりを1986年の冬からはじめました。夜まわりのねらいは、子どもたちが、釜ヶ崎労働者を全く知らない、知らないからさきに指摘したようなことが次々と起こると考えたからです。子どもが、直接、野宿する労働者と出会い、知ることによって、それが防げないかと考えました。子ども夜まわりは、労働者との出会いだけでなく、事前の学習会を通して、フィリピンの子どもやアイヌ民族の人々との出会いなども生まれました。しかし、この間、子どもたちを取り巻く状況はあまり変わりませんでした。たとえば、釜ヶ崎のすぐ近くの小学校ではビックリ箱事件という出来事がありました。小学校の付近に廃品回収で生活している労働者が段ボウルハウスで寝起きしていました。学校へ行く途上、小学校の高学年が低学年生に命じました。段ボウル箱に石を投げなさいと。石を投げると中の労働者は、ビックリして飛び起き首を出します。それが丁度ビックリ箱ににていて面白い。この事件は、労働者自身が学校に抗議することで明るみになりました。実は、その小学校は、同和教育に熱心なんですが、日雇労働者や野宿する労働者の人権には、目がとどいていないことがわかりました。これは、例外ではなく、一般の状況は、もっと悪い、差別的といえましよう。小学校の状況なども、やはりそこで働く教員たちの意識とも深く関係しています。 天王寺区、浪速区、西成区の行旅死の記録をまとめたものです。この記録は、わたしたち、とくに子どもの里のスタッフが、西成区役所や官報を参照して作ったものです。おわかりのように行旅死は、西成区だけでなく天王寺区、浪速区でもありますが、西成区がダントツに多いことは、一見してわかります。表の中で、空白になっているには一応は行旅死亡扱いだったんですが、あとで身元がわかり引き取り人があったためです。その数を含めると三つの区で年間100人近くになります。釜ヶ崎や浪速区の地理に詳しい人はお分かりと思いますが、死者の発見場所が、非常に人通りの多いところ、あるいは公園ということです。これはなにを意味するでしょうか。人が路上で寝ていてもあるいは死んでいても人々は関心を示さないと言うことです。西成労働福祉センター、大阪医療センターという病院の前でも亡くなっています。市立更生相談所という釜ヶ崎特有の福祉事務所の近くでも亡くなっています。わたしたちは人知れずひっそり死んでいくと言いますが、釜ヶ崎ではそうではないのです。公の施設の周辺で死んでいきます。しかし、マスコミもこの大事件には注目しません。最近も一人の人の死が新聞の一面で大きく取りあげられましたが、釜ヶ崎では何十人、何百人という行路死亡がでても話題にのぼりません。これは、一体なんだろうかと考えざるを得ません。行路死亡と行旅死亡は、似ていますが法律上はちがいます。行旅死亡は、法律用語で、かりに路上で死亡し、身元を引き取る人がいない場合を言います。行路死亡は、一般に言う行倒れです。行路死亡人の中に何人かのこう旅死亡人がいるわけです。その行旅死亡人は約100人ですが、行路死亡を入れるとそれこそ保健所などが示す数では年間五00人は越えています。野宿していたままの死、野宿していて救急車で運ばれ病院で死ぬ、あるいはドヤで死ぬなど、形態はさまざまです。この野宿した結果、死に至る人たちに共通するのは失業です。さらに病弱、障害、高齢がそれに加わります。釜ヶ崎キリスト教協友会は、活動のはじめから、さきにあげた病弱、障害、高齢の労働者に目をむけて活動してきました。ですからはじめのうちは、元気な労働者から協友会は「もう少し元気なわしたちのことにも取りくめ」と言われて来ました。正直なところそこまで手がまわらないのも事実です。 野宿や路上生活がなぜ死と結びつくかを1-2の例をあげてみます。一つは医療のことです。ここにあります「日雇労働者Mさんの死をムダにしないためにー釜ヶ崎の救急病院大和中央の実態」を紹介しながら、釜ヶ崎の医療の一端にふれてみます。このパンフについては、配られた「連絡会ニュース」にも大中闘争資料集ついに発刊と紹介されています。   大阪西成大和中央病院問題 http://blogs.yahoo.co.jp/takefumistay77/21051868.html  





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Last updated  2011.08.13 08:46:06



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