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今日は長男の誕生日です。
長男の誕生日ということは、私が人の親となって丁度26年目ですね。 最近20年位前のことをしきりに思い出すようになりました。 まだ一番下の子供は生まれていなかった頃のことですが、ほとんど毎日のように思い出します。 夢に出てくるということはありませんが、ちょっと気になることがあったり不思議に思ったりすることが多いものですから、気になっております。 二番目は娘で子供の頃はなぜか大人しくて、ほとんど手のかからない娘でしたが、今では完全に自立しております。 この娘が大人しかったというのが今では信じがたいことなんですが、当時は本当に大人しかった。 おそらく周りの雰囲気を読める子供だったのでしょうが、それだけに子供らしくなくいろんなことを我慢していたのでしょう。 ぱっと見た目はショートカットで男の子みたいな感じでしたが、いつも初めての人から男の子と間違われると{女}と一言主張していました。 親にしてみると面白いような可哀相なような実にあいまいな気分になったものです。 それが今では想像も付かないような活発で人当たりも良くて、社交的な娘になったものです。 当時スーパーなどに連れて行って欲しいものは無いかと尋ねても、なかなかあれこれと言わない、親にさえ遠慮するのかと思うほどの子供だったのですが、それが親にしてみれば何とも不憫なような可哀相な気分にさせられたものです。 その背景にはいろいろ我慢させることが多かったものですからね。金銭的なことではなくて。 で、その買い物に行ったスーパーの名前などがまったく思い出せない。 場所は分かっているのだが、今はつぶれてしまって違う会社が立っているものだから・・ 20年も前のことですから、あれこれ聞いてみても誰も詳しいことを知らない。 恐らく何とかだろうとか、いろんな意見があるのですが、いまだ解決していません。 あるときそのスーパーに再び買い物に行ったら、つぶれてしまって建物だけが残っていました。 仕方が無いので近所の小さな個人商店に入ったのですが、そこがまた小さくて文房具などを売っているようなお菓子も少し置いているような店で、おじいさんとおばあさんが二人でやっているような感じの店です。 買うようなお菓子もほとんど無く、仕方なく手にしたのが30円くらいのガム1個で、おばあさんが出てきたのだが値段が分からないという。おじいさんがいないからガム1個の値段がはっきり分からない。 娘も買い物に行って別に絶対ほしいとは思わないけれど、他に買うようなものもないのでしかたなく手にしたガムなので、それでいいという。 お互い引っ込みが付かない状態です。 値段が分からないのなら別に買わなくてもいいやと私などは心の中で思ったのですが、娘はこれでいいという。おそらくですけど、一度手にしておばあさんまで出てきたので、返しにくくなったのではないかと思うのですが、子供がこれでいいといっているのだから私も返すわけにもいかない。おばあさんも値段が分からないしガム1個ぐらいですから売らなくてもいい、くらいの気持ちだったのかもしれません。 三者三様の思惑が渦巻いて、結局妥当な値段で折り合いをつけて、お金を払い店を出たのですが、娘はガムに喜ぶわけでもなく、食べずにそのまま私に持たせたまま。 他に店が無いかと私と二人でその界隈を散策したけれども、結局買い物が出来るような店も無く歩き疲れたという思い出があります。 親子二人して、初めて歩く町の風景の中でどんな会話をしたのか、たぶんお互いに気を使っていたような・・私は大人しい娘を何とか喜ばせようと、娘は子供ながらにせっかくだからお付き合いしてやろうか程度だったのかもしれませんが・・ そのような切ない気持ちが、今頃になって湧き上がってきます。 もう一回人生を繰り返すことが出来れば、というか、娘にそのときの気分を尋ねてみたいような・・・やりきれなさとでも言いますか。 あの店のおばあさんはもういないでしょうね。地図を見るとまだあるのですが。何々商店と名前まで出てきます。 そんな昔のことでここ数日考え込んだりしています。 たぶん何にも覚えていないでしょうが。 でもって、息子ですが、26歳。 丁度26年前も今日と同じような天気で雪でした。 積もるわけでもなく、吹き溜まりに白く雪のあとを感じる程度の風ばかりが強い寒い日でした。 大寒の頃ですからね。 九州では初雪がこの時期になることも多いものです。 思えば遠くへ来たもんだという歌がありましたが、たかだか26年と思っていても長いものですね。 最近は10年が短く感じるのですが、中身はいろいろあるものです。 私はじいちゃんは見た事ありますし、覚えてもいますが、ひいじいちゃんは知りません。 写真でしか見たことがないです。 座敷に写真が飾ってあったのですが、どこにいても見られているようでちょっと怖かったです。 座敷の中央にいても角にいてもどこにいても見られているようで、そのひいじいちゃんは40代で隠居していたという話を聞きます。ほーっと感心していたのですが、うちの親父が死んだとき系図を遡ってみたのですが、養子に行っているんですねえ。 つまり私は苗字がここから代々変わっているんですよ。 爺さんが芳太郎、ひい爺さんが熊次郎、養子に行った先の爺さんが虎次郎だったんですねえ。 虎次郎さんはだいたい他人ですから、その先はどうなっているのか分かりませんが、いろいろ調べていくとどこまで広がるのやらという感じで、もうやめましたが。 という1日です。今日は。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2014年01月22日 06時14分33秒
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