190522 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

たこすみ 

たこすみ 

【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x

PR

Keyword Search

▼キーワード検索

2021/04/11
XML
カテゴリ:地名考
この本がスゴイ

桐生市地名考

著者 島田一郎

編集・発行桐生市立図書館

桐生市のサイトからpdfデータをダウンロードできます。



この本を非常に気に入りました。
以下は抜き書きです。気になったものの私的なメモです。

桐生市にあった 大字 おおあざ 小字 こあざ についての解説です。

数字は私的に整理するための物 本のページ数
無視してください。



ツネギガイト常木谷戸
常はツエ(潰)の転で崖崩れの意。木はキハ(際)の下略ではたの意。谷戸は集落。台地のはた(新川沿い)が渡良瀬川の洪水のたびに分流となるため洪水によって削られるためついた地名。はたが崖になっている台地に集落が出来た区域。谷戸は本来谷の入口付近をいう地名であるが、地形上人が住み良い所なので最初に集落が出来た為集落名に変化し、後世には平地に出来た集落名にもなった。ヶ谷戸が本字。ガヤトがガイトに変化した。

ニシクボガイト西久保谷戸
ニシ(西)はニジ(滲)むの換字で湿地。村の中心にある低湿地に集落の出来た区域。

サイカチハラ槐原
寛文水帳当時は川原で利用されなかった為、字はなかった。その後、開拓されるようになってから字がついた隣村下菱村へ行く道が通っていた為、村境に邪霊疫病が入ってくるのを防ぐためサエノカミ(塞神)と共に槐を植えたのが広がった川原。

キジノオ雉子ノ尾
大堰用水本町2丁目分流が最初に今泉村に入る所で用水を曲げて流すため石垣で堤を築いてある所。きしはキリ(断)イシ(石)の略。尾は細の意でここでは用水をいう。

カノマエ鹿ノ前
スカ(砂処)→シカ→カと転じた。桐生川のはたが洪水のたびに流れてきた砂で自然堤防のように高くなっている区域。

ババナカ馬場中
馬場はママと同じで崖をいう語。中は場所を示す語。新川のはたが崖になっている区域。

イマイジュク今井宿
宿は砦のはたに出来た集落につく地名。

ヒヅメ樋爪
樋は用水(大堰用水)爪(ツメ)は詰(ツメ)の換字で終わる意。大堰用水の分流が堤村の東堀に合流する区域。

モトヤシキ原屋敷
モト(原)はフモト(麓)の略。丸山の砦の番頭(バンガシラ)新居氏が普段住んでいた屋敷があったのでついた地名。

モトジュク本宿
原屋敷ではいかにも古いので本宿村の中心地でもあるので村名に改名した。

ドウヤシキ堂屋敷
本宿に改名する時、修験高沢院の境内が独立した区域。(3741坪)

ヤナギガイト柳谷戸
ヤナギ(柳)はヤナ(簗)・木の換字で土手を示す語。ギは接尾語で場所を示す。堤村から流れてくる東堀に土手が築いてある所にある集落。

マルヤマ丸山
戦国時代に柄杓山城の出丸があった山なので出丸山と呼ばれていたが、後世山の形が丸いこともあって、丸山というようになった。丸山・円山・砦円山・天津山・清閑山・聖眼寺山・砦山・浅間山・赤岩山・寄居山・富士山の11に呼ばれている。寛文水帳の時は、なかった地名。山麓を両毛鉄道を通すため崩したので、昔と山容が変化している。

ハラ原
渡良瀬川の川原の略でもとはホウコウハラ放光原  と呼ばれ集落があり、新宿の八幡宮なども祀られていたが、元亀2年(1571)の洪水で流されて以来川原の区域。寛文水帳以後に開拓され地名が復活した区域。放光の渡があったことで知られている。

ゴボウギ五本木
御坊基→御坊木→五本木と変化しているが、旧聖眼寺のあった所の意なので、ごぼうぎと読むべきである。木は場所。

キノシタ木ノ下
五本木の下の意で、旧聖眼寺境内の東側が木ノ下として独立した区域。明治9年地租改正の時に、本宿村宮下の白髭神社境内(2151番地)だけが木ノ下に合併した。

24

ショウニン上人  35
上人塚(3414番地にある円墳で基底7㍍・高さ3㍍で石槨あり)の略。古墳のことを昔上人を生きながら埋めた塚だという伝承が地名になった区域。

フクジマ福島  40
中広沢村新立の時、下広沢村福島が中・下広沢村に分割された区域。フク(福)はフケ(沮)の転で湿地。まわりを低湿地に囲まれ島のように見える台地。

フクジマ福島  43
慶長3年(1598)中広沢村が新しく出来た時に分割された区域。フク(福)はフケ(沮)の転で湿地。昔渡良瀬川の中島だった所で、まわりを川床だった低湿地に囲まれている東西に長い島のように見える台地。

フクジマ福島  44
明治9年地租改正の時、上・中・下広沢村が合併し、福島・福島久保・久保田・おいせはら・高かせ・東屋・福島下ノ原を併せて福島とした区域。

ダイコロシ大根おろし  111
根本川が5㍍程の滝になり、滝壺に落ちると生きて出られない淵になっていた右岸区域。大涌寺の住職が投身自殺したという伝承でついた滝名。大(涌寺)の住職を殺した滝の意。

クボむじな久保  115
むじなはムシ(毟)るの転で崩壊。山腹の崩壊で出来た急傾斜のくぼ。

タカノス鷹ノ巣  116
鷹は高の替字。巣は州の替字で砂州。渡良瀬川左岸に洪水のタビ度に運んで来た砂が堤のように長く積もっている付近。

ゾウガハナ象ヶ鼻  116
象は沢の転。鼻は端の転。小倉川左岸沿いの区域。

シシダ獅子田  116
シシはシタタ(滴)りの略で湿地。田は場所を示す語。湿地の沢。沢奥の湧水地が池になっていて石祠がある。

ハコジマガイト箱島谷戸  117
ハコはハケの転で崖。佃の東側崖上の台地。一段高く島のように見える所にある集落。

ハチガサワ初鹿澤  117
初はハツ(削)るの替字で崩壊。山腹の崩壊で緩い傾斜地(耕地)の出来た沢。沢奥に湧水がある。

ムカヤシキ向屋敷  117
初鹿沢を挟んで対岸にある初鹿澤から分家した人々が作った集落。屋敷は集落名。

ハチガサワ蜂ヶ沢 117
明治9年地租改正の時、初鹿澤・向屋敷を併せて蜂ヶ沢とした区域。初を蜂に替えただけの地名。

アミダドウ阿弥陀堂  118
324番地(324甲381坪・324乙39坪)にあった。小字阿弥陀堂は324~329番地で、センシ ゛ュシ ゛千手寺の所有地(明治初年迄)。オク ゛ラ小倉川左岸改修工事の時、沢山の仏教石造物が出土した(千手寺談)。元久2年(1205)法然上人より阿弥陀像を本尊として拝領して帰国し、一間四方の阿弥陀堂を建立して安置した。堂は元禄6年(1693)迄現存したが、その後西小倉村崇禅寺の本尊となった。

センジュジ心正寺  118
もとはシンショウジ(心正寺)という寺名だったので小字名となった区域。後、本尊名(千手観音)に寺名を換えた為、センジュジ(千手寺)と読み換えた寺のある区域。

ゾウズサン象頭山  119
象頭山琴平宮が祀ってあるのでついた地名。明治10年9月吾妻沢アス ゛マ吾妻神社境内へ遷座。

ジャアナ蛇穴  139
蛇の付く地名は大蛇が山腹から、はい出る時に大崩壊を起こすという伝承からついた。大蛇が山腹に大崩壊を起こしたという伝承のある付近。

なし山  146
なしはナシ(擦)るの語幹で崩壊。山腹の崩壊している山。



カマスガイト釜須ケ谷戸  146
釜はカム(傾)くの転で急傾斜。ス(須)はス(州)の替字で場所。急傾斜している山腹の下にある集落。明治9年地租改正の時、なし山を釜須ケ谷戸にした区域。



しりなし  151
入口の狭い行き止まりの山腹のくぼ。捨場とも言い死馬の捨場のあったくぼ。

ゾウカノぞふかの  154
ぞふは沢の転で湿地、かのは刈野の略で焼畑。中のくぼ。湿地のくぼにある焼畑。

ショウブ菖蒲  157
ショウズ(清水)の転で清水の湧いている所にある集落を言う。

トチノキザワ栃ノ木沢  157
トチはトズ(閉)の転。木は場所。うしろ沢のカミ上隣り。入口が狭くまわりを囲まれて行き止まりの沢。

ハジカミ橋上  160
橋は端の替字。上は噛の替字で崩壊。この付近は川が急流になっているので、大雨のときなど両岸が崩される区域。

キツネデエラ狐平  161
狐はクズ(崩)れの転。大崩の山腹の崩壊した土砂が作った名久木川左岸の傾斜地。

ロクロイシザワ六郎石沢  161
名久木川の終点から左へ入る沢で洪水の時に、大石がまわりながら流れる沢。六郎はロクロ轆轤の換字で回転。

ハナノキザワ花ノ木沢  162
花は鼻の替字で尾根の先端。ノ木は抜の転で崩壊。金沢峠へ入る沢で入口左側の尾根の先端が土砂崩れしている沢。

ムギクボ麦窪  162
麦はムキ(剥)の替字で崩壊。山腹が崩壊して傾斜地の出来ているくぼ

リュウダイ竜台  163
天正年間(1573~1590年)以前は一本木村・如来堂村を含む区域が広沢村であった。後に如来堂村が成立した時、竜台の西半分が村域となった。竜は流の替字で流失の意。台は台地の意。地名のついた頃は竜台の崖下を渡良瀬川が流れており、洪水の時に台地の崖端が削られて流される意。

ミョウガサワ茗荷沢  182
ミオ(澪)ヶ沢の替字。澪は水流。いつも水が流れている湿地の沢。

オオヤゴロウ大弥五郎  182
大弥は大谷の換字。五郎はごろの転で石がごろごろしている所。二つ同じ形をしている大きい谷(川上)の方で石がごろごろしている区域。

カラスガネド烏ヶ寝戸  182
烏はカレス(枯州)の転で石の多い地質で雨水を吸い込んで沢水の流れない扇平の山腹。寝戸は根戸で付近。傾斜の緩い扇形をしている焼畑適地の山腹。

サツキザワ殺木沢  183
殺はサス(射)の転で真直。姥穴山の山腹にある急傾斜の沢の区域。※殺木沢の殺には木篇がつくのが正字だが活字が無いので殺を当て字として用いた。

ウバナ姥穴  183
姥穴山の略。全国各地にある姥懐(ウバガフトコロ)の伝承のある山。没落した武士の若殿を育てるために乳母(姥の転)と若殿が隠れ住んだという岩穴が山頂にある山。障子山・桐生富士ともいわれている。障子山:近くで見ると障子を立てたように急傾斜している山。桐生富士:遠く桐生から見ると富士山のように見える山。

スズメガイト雀谷戸  187
菱村領主細川内膳に小雀という愛馬がいた。主人筋に当たる桐生助綱(祐綱とも)が譲ってほしいと懇望したが、内膳が拒否した為天文13年(1544)3月3日助綱が急襲し、内膳は敗れ自殺し、小雀を戦利品として連れ去ろうとしたところ、突然舌を噛み切って殉死した。地元民はその死を憐れみ、そこに葬り観世音を安置し、小雀観世音と呼んだ。その後付近に集落が出来たのを雀谷戸と命名した。

サカノウエ坂ノ上  188
坂は三年坂(転ぶと三年の内に死ぬという俗伝のある坂で、江戸の芝高輪や京都の清水寺など全国各地にある)の略で、坂を上がった所(台地)にアラスキアン荒蒔庵や細川内膳の家臣森下左衛門の屋敷があった。坂の上に台地のある区域。

ヤマギワ山際  190
山麓に墓地のある区域。宝福寺があった。(墓穴を掘る場所を決めることを「山ぎわめ」と言う)

サワイリ沢入  190
ソウリと言い焼畑用語。本来の読みの意味が不明となりサワイリと言うようになった。焼畑のある傾斜のゆるやかな山腹。


カラマキ  193
ガラメキの転。岩石ががらがら音をたてて落ちてくる急傾斜の沢。唐巻ともかく。

ジガイリ祖父ヶ入  194
ジはヒジ(肱)の略。ひじのように沢口付近から曲がって入っている沢。


---------





お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2021/04/12 12:31:54 AM



© Rakuten Group, Inc.