二酸化炭素による地球温暖化「懐疑論」については何度か述べてきましたが、いつも話が長くなるので今回は端的に。現在地球がおかれている問題は海水温の上昇であり気温の温暖化ではない(海水温の上昇は気温の上昇が原因ではなく逆である)、つまり現在の二酸化炭素対策では100年後の大きな問題が回避できないという懸念です。もちろん省エネルギーは温暖化問題がなかったとしても重要です。
政治家主導の温暖化対策の「きな臭い」ところは資本主義であり、省エネルギー技術を発展途上国に売り込むことで利益を作ろうとしているところ、原子力発電の安易な激増、環境税という口実の税金、炭素排出権という訳のわからない商取引…いずれも環境を口実にした経済対策です。言葉を換えれば金が絡まないところは「問題の本当の原因だ」といくら主張する人がいても無視しているところです。科学者集団主導の利益の絡まない地球環境対策にすることが本当に必要なことなのです。
ただ政治家が利権を手放すわけはありません。さてそれではどうすればいいのか、最近感じているのは「環境変化とともに生きていく」ということです。少なくとも温暖化対策は手遅れであり、すべてのCO2発生をなくしても計算上は気温が上がってしまいます。ならば自然と共に生きることを考えた方がよいような気がしています。気温をコントロールしようなんてそれこそ人類の無謀かおごりです。暮らしにくくなるところがあると同時に暮らしやすくなるところがあるはずです。
京都の紅葉が美しさを失いつつありますが、その分関東以北の紅葉が美しくなっているような気がします。