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カテゴリ:三女の私の思うこと
とらせるものではなくて、とるものではないのかな?
どうも最近の「責任をとらせる」という風潮についていけない私。 事故がある。被害者が従業員だった場合、被害者であるけれど、加害者でもある訳で、 会社のトップに責任を取らせると息巻いたところで、なにができる? もちろん、従業員であれ、なんであれ、被害者と突然のことで頭が真っ白であろうご家族には 心の痛みを感じる。 それはもう、もしお嬢だったらと思ったら考えたくないぐらい心が痛い。 だけど、あえていうならば、従業員であったとしたら、安全管理は従業員一人一人が敏感になるべきもので トップだけが背負うものではないと思う。 当然、トップは背負わなければいけないけれど、トップたるもの別に背負うものが多々あるから、 だからこその組織でしょう? 自分の下が、その会社の目的のためにもれなく機能しているかどうかをみるのがトップの役目で いちいち確認するのは、組織の役目ではないのかな。 事故が起きるには、事故が起きるだけの「何か」がある。 それは会社の体質かもしれないし、従業員一人一人の性質かもしれない。 それらを踏まえた上で判断をくだすのはトップだから、当然、その責任は取らねばならない。 トップは現場の見えないところを押さえ、現場はトップの目が行き届かないところをフォローする。 そういう体制に持っていけないのは、トップだけの責任ではないと思うんだが… だんなは重機を扱う仕事をしている。 なので、いつどんな目にあうかわからないので、常に覚悟はしている。 今までも「ヤバい」ことは何度もあったけれど、やはり一番先に確認するのは 「一般人を巻き込まなかったか」だ。 会社の人間だけの事故なら、社内で対応すればいいだけのこと。 取引先や関係のない人を巻き込んでいるかいないかでは、対応の仕方が全く違ってくる。 正直な話、もし万が一、関係のない人を巻き込んでいたら、だんなが大けがをしていたとしても それはなかったことにしなくてはならないことなぞ、ザラなのだ。 幸いなことに、出会ってから20年、そんなことはないけどね。 事故の一報が入った時、家族よりも先に、全社に箝口令がしかれることだってあるのだ。 それが「従業員として会社に責任をとる」ことになる。 安全なんてどこにもない。なにかに従事するならば、「どう責任をとるか」を考えねばならないのではないかな。 あと、報道ならなにしてもいいのかい? 被害者にならどんなこと聞いてもいいの? 被害者だから、何をいってもいい、みたいな風潮も嫌いだけど、 報道だから、いつなにをしてもいいというのも嫌いだよ。 家族を突然の事故で失った人をそっとしておくという神経もないよね。 今、自分がしようとしていることに、「責任がとれる」のか、とるとしたらどういう取り方をするのか 考えてから行動しないとね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2007年06月21日 00時22分52秒
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