子供にものごとを考えさせるときの言葉かけ
子供にものごとを考えさせるとき 人間というのは、ものごとを考える時に、癖というか習性のようなものを持っている。どう考えればこの問題を解決できるのか。一人一人、そのアプローチの仕方が違う。 すぐに、ものごとを考えるのをやめてしまう人は、考え方の方法を知らないのである。 「・・・・は、・・・・です。それは、なぜでしょう。」 「・・・・は、どうなるんだろう。」 ところが、教室の半数以上の児童は、この問題を解決する糸口すら思いつかない。「分かった」というのは、すでに答えを知っている児童だけなのだ。 実は、ものごとを考えるには、いくつかの切り口があることを常日頃の授業の中で,何回も適切な例によって教えてあげておく必要がある。 一つ目・・・・・「この問題は、昨日やった問題と似ていないかな。それと同じように考えて見ましょう。」 二つ目・・・・・「問題の数をもっと、かんたんな数にしてみて考えてみましょう。桁数が大きすぎるからむずかしんだよ、きっと。」 三つ目・・・・・「なになには、なになにである。反対に、なになにはなになにでないと考えたらどうなるんだろうね」 四つ目・・・・・「これは、あなたがよく知っている何かとよくにていることはありませんか。もしそうなら、これも、同じようになるんじやないかなと考えてごらんなさい。」 五つ目・・・・・「この問題は長すぎます。大切な言葉はどれだろうね。」 六つ目・・・・・「絵とか図に表して,考えてみたらどうなるんだろう。」 七つ目・・・・・「だれかが、こんなことを言っていた。これは、そのことなんじゃないかなということはありませんか。」 八つ目・・・・・「だいたい、これくらいの数になりそうだなと考えてごらんなさい。」 九つ目・・・・・「とにかく、なんにもわからないなら、こうなったらおもしろいなということを書き出してみよう。」 (人間というのは、自分の内部にある経験からしか物事を考えることが普通できないのである。だから子供は、その経験が圧倒的にすくないから難しいのである。) これら、九つのことを何度も何度も聞かせる。そうすると、その児童が得意な方法を身につけるはずだ。なぜ、「はずだ。」と書いたかというと、これまで、私は、上に書いてきたことをたまにしか口にしなかったからだ。何度も何度も言わないとだめなことなのに。この文章をかいているうちに自分の指導の不徹底さを感じてきた。はずかしい。 私が、ものごとを考える時のくせ、あるいは習慣というのは、以上九個である。しかし、この問題解決の方法を子供たちに教えると同時に、しておかないといけないこと、いやもっと大切であろうと考えることがある。それは、素直な気持ちで真似をすること。そっくりそのまま真似をすることである。先生が授業中におっしゃったことを素直にできる子。こんな子は、成績が伸びる。算数の教科書の問題をそっくりそのまま写す。国語の作文をそっくりそのままノートに写す。英語の発音をそっくりそのまま発音する。リコーダーの音を,先生の音そっくりに出す。教師の音読の読み方をそっくりそのまま真似をする。特に低学年で、真似をすることを習慣づけることがとてつもなく大切である。ピカソが、若い頃、模写を何度も何度も行っている。手塚治虫も、虫の観察などを何度も何度もしている。天才にして、そうなのである。 文章のすばらしいものをノートに書き写す。算数の教科書の問題をそっくりそのまま書き写す。理科の勉強で、自分の育てた野菜の絵をそっくりに描く。書写のノートの字を手本通りにきちんと書く。 丁寧さを,低学年のうちに身につけた児童は、ほとんどテストで100点ばかり。文字が乱雑な児童は、テストの点数は、60点程度である。 今度、学校にもどったら、徹底的に丁寧な字で字を書かせよう。よいものを素直に真似させよう。そして、どうやって考えればいいかをことあるごとに聴かせてやろう。 追伸 私は、ものを捨てる前に、必ず、考える。「これ、何かに使えそうだ。」と。問題は、それを保管する場所がないことである。だから、どんどんごみとして普通は捨ててしまうものが家のいろんなところに散乱していることだ。ぱっと捨ててしまうほうがいいかな。最近、思う事は、そんなことだ。←何か思われた方は、クリックしてください。ありがとうございます。なお、今日書いたことは、長すぎます。もっと、簡明な文章にして、再度みなさまが一読して理解できるように書き直したいと思います。 2008.9.18 午前7時5分