囚われの空
∽ ∽ ∽ ∽ ∽連日、花火大会ですね。昨日は、琵琶湖大花火大会、今日は石山寺の花火大会です。家まで、花火の音が聞こえています。ボクは一緒に行く人もいないし、見に行きませんけどね。だれか、誘って…(TT連日、ずっとふさぎ込んでます。今日はそれじゃダメって思って、図書館に行って、それと写真を撮ってきました。(前出のモノも、今日撮った写真です))でも、ダメですね、やっぱ。人は、独りじゃ生きられないって実感したり…。∽ ∽ ∽ ∽ ∽車でひたすら走ってて、ふと、気付いたんだけど、ボクはどちらかというと、多少遠回りしてでもずっと走ってたい方。きっと、これは人生も同じように思う。一年間、ゆったり、休み休み時間を潰してきたけど、ダメ。やっぱ走ってたいみたい。遠回りでもいいし。9月で32才だけど、気分はまだまだ20代半ばで、事実、精神年齢も、収入も、まぁそんなもんで。全然大人になりきれてなくて。すでに遠回り状態。でも、走ってたい。走り続けてたい。あるいは、26才で牧師になって、ボクは早く大人になりすぎたのかも知れない。"幼児返り"ならぬ"青年返り"なのかも知れない。もしかしたら周囲からも、大人を求められていたのかも知れない。ボクらの教会では、牧師というのはelder、つまり年長者って呼ばれる。(elderの意味はここ。Goo辞書より)そう、周囲の、ボクの親ぐらいの人たちからも"年長者"って呼ばれて、"年長者"としての態度が求められた。それに、何とか答えようとしていたのかも知れない。ボクにはポッカリと青春時代が欠落している。ふつーに大学行って。友達と遊んで。仕事も恋愛も趣味も燃えて。そんな時代はなかった。高校ぐらいから、ずっと、牧師を目標として歩んで、そのためにできることは何でもした。同窓生たちがふつーに青春している間、ボクは、ひたすら教会の仕事や運営に携わってた。もちろん、そのために得られたものは大きい。数多くの技術を習得できた。早く大人になれた。でも、ふつーに得られなかったものがあるのも事実。∽ ∽ ∽ ∽ ∽弟が、連日引っ越しの準備をしてる。弟の部屋から、みるみるものがなくなっていく。弟がいなくなったあとの部屋の構成を考える。と、同時に、独りだけの生活も考える。どんどん、人間性が薄れていくような気がする。モノと機械しか相手にしなくなっていく。言葉を交わす人がいなくなる。気遣いを示しあえる人もいなくなる。もちろん、教会以外の友達はいないし、教会での友達とも決別しようとしている。友達の作り方なんて知らないよ。恋人の作り方も、趣味の探し方も、遊び方も、何にも知らずに大人になったんだ。ずっと、ずっと、独りなのかな…誰かと笑って何かを楽しんだり、奥さんや子供と幸せになるコトって、ボクにとっては幻想に過ぎないのかな…?