英語と私(Lyena)、そして息子(Rota)
私は5歳のとき、近所の主婦(歯医者さんの奥さんでした)から英語を習い始めました。記憶に残っているのは、新しい傘を歯医者さんの壁に向けて開いてしまって骨を折った切なさと、初めて親と離れて参加してお泊りキャンプの楽しかったこと。そして... "Are you sleeping? Are you sleeping? Brother John,Brother John"というメロディーと音の響き。 英語が好きになったきっかけはこの頃の体験にあったのだと思います。昔も今も英語の響きが理屈なく好きです。 引越しを経て低学年の頃にも近所の主婦(今度はお医者さんの奥さん)から、再び英語を習います。自分の知っていることは、聞かれもしないのに「べらべら」話すくせに問いかけにはまったく答えられなかったような気がします。でも、「英語」が出来るのよ!と思い込んでいました。 六年生で英語の歌(今でいうJ-pop)にはまります。これが、英語と私の運命の出会いになりました。そのアーティストの在学する大学に絶対に入るんだと決心したのです。(国立の外国語大学です)六年生の後半からは、中学英語を見据えて個人塾に通い始めました。母は三度、先生をどこからか探し当ててきたのです。今になって母が毎度、どのように先生を探したてきたのか不思議でなりませんが、この母の執念は自然に自分に受け継がれているように思えます。この時の先生はイギリスに何年か滞在していらしたようです。日本人なのに外国人のように口を大きく開けて話す先生、ちょっとオーバーアクションで、いつも先生の動きを食い入るようにみていました。イギリスとアメリカの発音の違いや表現の違いなんかも教えてくださいました。ただ、この頃から自分の発音特に音読が他の生徒と比べて下手なことに気づきはじめます。「順番回るのイヤだな」と思っていました。 でも、英語は好き!出来るんだ!という自信をそれ以上に持っていた頃でもあります。 中学に入ってからは進学塾の英語にも掛け持ちで通うようになりました。先生は東大の学生さんでした。若くてかっこいい男性だったこともあり、俄然やる気が出たように思います(笑)「どうしたら、○○大学へ行けますか?」なんて真剣に聞いていました。1年生の時です。 英語の歌の歌詞をせっせと訳したり覚えたりという毎日を過ごしました。 自分流の単語帳も作り始めました。きれいに書き写すことで、どんどん語彙を 増やしていけました。今となっては信じられないことですが。 高校へ進学。今度はアメリカ人の英会話教室に行きました。ここでも、「順番回るのイヤだな」と思っていました。でも英語は出来る!とまだ信じています。(私が出来たのは学校の英語で終始、話すことは出来なかったのですが、それに気づくのはずっとずっと後のことです) 理系に弱く国立は断念(あっさり挫折ともいう)結局、私大の英米文学科に入学しました。ここでは「順番が回るのイヤだな」どころではありません。 毎度、消え入りたい心境でした。必修はしかたないとして、選択では「発言」の機会の少ない講義を極力選んでいました。今になって思えば惜しいことをしたものです。その一方で、ちょっとかっこいい外国人の先生の講義は履修不可能なクラスの英会話だったのにもかからわず頼んで聴講させてもらっていました。またしても動機が不純です。さすがにこの頃になると「英語が出来る!」なんて口が裂けても言えない状況でした。それどころかコンプレックスです。でも、読むことは好きだったので英米児童文学のゼミを履修しました。ここで翻訳を学びましたが、「日本語」の難しさに気づきます。一番英語を読んだのはこの頃です。 お年を召した日本人の先生方の英語はスローテンポで典型的な「おじさん」の英語という感じでしたが、特に銀行勤務経験のある「ビジネス英語」の先生の英語には惹きつけられました。発音がネイティブっぽいことよりも、大切なのは話す内容なんだ、発音は私にはもう無理だ!よし、この路線でいこう! それから、10年以上の歳月を経て息子が少しずつ英語を話すようになってきました。私の一番苦手とするコミュニケーションとしての英語という部分では、既に越されたという危機感すらあります。最近では本を読んで楽しむことも出来るようになってきました。これは、英語を与えた当初、まったく想像していなかった展開です。自分が楽しんだ児童文学の世界の扉をもうすぐわが子が開いてくれそうな気配を感じているのです。本を選ぶ瞬間にさえ充分過ぎるほどの幸せをもらっていますが、私がかつて感動したテムズ川から生まれた数々の物語を語り合える日もやってくるのでしょうか?そんな日が来たら、嬉しくて言葉にならないかもしれません。 生まれる前から英語の音を流し、たくさんのインプットを与え、ようやく英本が読めるようになってきました。これまでの笑いあり涙ありの親子の葛藤とこれからの歩みを記録に残したいという気持ちが芽生えたのは1年以上前からのことです。自分の忘れゆく記憶を留めておくのも、もはや限界と判断し、重い腰をあげブログ開設を決意しました。 ♪Passing pictures in my mind~♪ 出会った人々、美しい光景、それを見たロタの様子、そしてそこにあった英語、それをゆっくりと綴っていきたいと思っています。 これにあたり何人かのネット仲間が背中を押してくださいました。 ありがとう。これからも見守ってくださいね。 Lyena RotaとLyenaの本棚♪
カテゴリ:隋感録
引っ越し先がみつかりました。
気分を新たに出直したいと思っています。 これからもよろしくお願いいたします。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2009年06月16日 20時48分56秒
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