Que sera, sera

2009/04/04(土)04:41

1曲を弾きこむということ

娘のはなし(628)

コンクールまであと2週間。 このコンクールで弾く曲は去年の2月から弾き続けて いるので、もう1年以上、1つの曲を引き続けていることになります。 ふつう、子どもって飽きるもんみたいなんですが、 ムスメ、飽きもせずにずうっと弾いてきました。 毎日毎日。 体調や都合で練習できなかった日以外 毎日毎日。 ムスメは、ピアノのセンスがあるか?音楽的な才能があるか? と問われると、 親の私から見て、 あるとは言えない・・・ な子。 そりゃ、私の子だからねー。 小器用で飲み込みは早いから、楽譜に書いてある音符どおりに弾ける ようになるのは若干早めではありますが、 自分からこの曲を弾いてみたい、と思うわけでもなく、 この曲をこんな風に表現してみたい、と思うわけでもなく。 ピアノが好きというよりも、 お母さんが弾いているから私も、 であり、 いつもべた褒めしてくれる先生が大好きだから、 であり、 保育園からの仲良しのお友達も一緒に続けてるから っていうのが、ピアノのレッスンを続けている理由なんだろうなー、 と思います。 だから、今弾いているこの曲も、 3ヶ月くらいでミスなく弾けるようにはなったのだけど、 聞くに堪えられるようなレベルになったのは、 1月末のコンクール予選直前。 1年かかりました。 でも、予選が終わったらまた音が不安定に。 まだ、「言われたとおり」に弾いていただけだったので、 コンクールの緊張感から解放されたら元に戻っちゃったのです。 ところが最近。 ずいぶんと安定して弾けるようになりました。 私が、あーだこーだと注文をつけなくても、 自分で曲のイメージどおりに音を出せるようになってきたのです。 今までは、 音の大小や、緩急、スタッカートとスラー・・・ いちいち指示を出されて、その指示通りに弾こうとしている感じだったのに。 音そのものも、ピアノをぶったたく感じから卒業して、 ずいぶんまろやかーな音が出せるように。 バイエルを弾いていてもずいぶんきれいな音になったので、 びっくりでした。 テクニックや読譜能力は、まだ私のほうが若干上ですが、 表現力は完全にムスメの方が上になってしまいました。 1年以上、1つの曲を徹底的に弾きこむって、 すごいことですねー・・・。 表現力を身に付けるということは、 ただ単に、感情を込めて弾けば良いんじゃないんだ、ということが がよくわかりました。 そもそも、指の力が必要だし、 その指の力をコントロールする力、 運指のスピード、 音の滑らかさ、切れ味。 すべて、トレーニングが必要なテクニックの問題でした。 そして、こういう音楽にはこういう音の出し方が合っている、 といった曲想の理解。 これも、こういうメロディーのときにはこういう 音の出し方をするとより多くの人に共感してもらえる、 というパターンがある程度あって、 そこのところを押さえて弾かないと、 自分勝手な解釈の演奏になってしまいます。 自分の出している音を客観的に聴く耳も必要。 意外に、自分がどんな音を出しているかって、把握できてないんですよね。 こういうことを直感的にすぐに把握できる能力を持って生まれた人が、 音楽的才能のある人、 なんだろうなー、と思います。 でも、音楽のセンスは今ひとつ? なムスメみたいな子や私でも、 1年以上同じ曲を指導してもらい続け、弾き続けると、 いろいろなことがわかってくるもんなんだなー、と、 ここのところ妙に実感中です。 今まで、練習曲集をどんどん先に進むことが上達の証だと 思っていました。 でも、ある程度のレベルの曲をじっくり弾きこむことは、 それ以上に音楽演奏の上達に意味があることなのかもしれません。 やみくもに練習曲だけを弾かされていた私と比べると、 この曲を弾くために、このテクニックの練習曲集を、 といった具合に指導してもらっているムスメは、 ほんとーに恵まれているなー、とうらやましい私でした。 コンクールの地区本大会、賞がどうのこうのというよりも、 1年以上弾きこんだこの曲の集大成を悔いのないようにご披露できれば、 と思っています。

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