『重荷泣いています』たぬじいの暴論
新党の略称がきまらない?決めてあげよう、KSD・・・貴様ら、どんなつもりだ・・・と、たぬじいの暴論です。中2の男の子の自殺が大きなニュースになっていますね。学校、教育委員会、警察の対応が矢面にたっていますが、僕の意見としては、根本は、家庭に問題があると考えます。確かに隠ぺいする態度やごまかそうとする大人達には、うんざりします。今の子ども達は、痛みを知らない、人の痛みを知ることがない。加害者(いじめをした子どもたちをこう呼ぶのは許してください)の家庭環境がどうであったか。憶測でいうのは、さけたいのですが、ある程度の地位にいる家系の場合、命令することになれ、人を人と思わない親だった時、それを正しいと思って育ってきたら・・・環境が子どもを育てるということを、考えるならば、加害者の親が責任を追及されるべきと僕は考えます。ただ、ネットで実名をあげて批判、誹謗中傷をする風潮を僕は否定します。いじめの一種ではありませんか、いじめを否定するので、あれば、冷静な対応をお願いしたいですね。(同姓の違う人が、矢面にたったということも聞きました。)警察はある程度の真実は明らかにするでしょうが、物証がない場合、犯罪として成立するかは微妙でしょうね。第三者委員会が調査・・・って、教育委員会って、独立した第三者委員会でなかったんだ・・・現実として、今、いじめに遭っている子ども達に僕はこういいたい。「逃げなさい。その立場にいつづけることはありません。救いを求めてください。」そして、その親の皆さんには、「もっと、違う選択肢を示してあげてください。子どもを守ってください。自分の子どもを否定しないでください。」たぬじいのささやかなお願いです。見本となるべき教師の人達が、幸せな家庭で育ち、暴力を否定し、体罰を禁じられ、人に痛めつけられたことがなかった場合、いじめの対応を誤るのは、避けられないかもしれません。言葉だけで、いじめを防止し、いじめに気付くことができない・・・どうすれば、いいでしょうか。僕らの年代では、学校は聖域で、学校で悪いことをすれば、先生に殴られることは普通で、それを、親にいうと、親にも殴られるという時代でした。その時代、考え方が正しいとは、僕は言いません。実際、親に殴られて育てられた子どもがまともになるかは、五分五分・・・今、生きている子ども達を守ってください。九州の『いままで経験したことのない大雨』の被害に遭われた皆さんに心から、お見舞い申し上げます。これは、映像を見て、橋にかかった流木の様子で思ったこと。治山治水というのは、政治の根本で、林業政策の失敗も考えました。皆さんは杉花粉症ではありませんか、これは、杉の植樹を全国的に、推し進めた結果なのですが、もう一つ問題があるんですね。それは、杉林というのは、自然林にくらべて保水能力が低いんですね。で、一時的な大雨が一気に山を下る。公共事業をやめる、ダム工事を否定する。山の中に泥がいっぱいになった簡単な土留めをみたことはありませんか。あれは、次々と作っていかないと土砂くずれが起こると聞いたことがあります。異常気象のせいだけにしては、いけません。それに対応できるだけの政治の対応が必要です。今の後手後手にまわり、やることなすことちぐはぐな政権には、もう期待できません。その政権をつくった中心人物は、造反・・・当初の理念をくつがえさないのは、立派と言えるかもしれませんが、いままでの政権運営の責任は彼にもあります。僕には、選挙対策の一手としか、思えません。今後、僕は彼に期待することはしません。じゃ、誰に期待するのか、『みぞゆうの災害』『絵に描いたもちをならべる』今、国民は「重荷泣いています。」まじたぬでした。ではではついでなの『主に泣いています』は、意外といける。中丸くんのゲイ風味もなかなか、楽しんでいます。神木くんが大河に同じ役で出演、たしかタッキー義経の幼少時代を演じたはずでしたね。弁慶は誰?って、一体、『平清盛』はどの時代まで、やるんでしょうか。平家の没落まで?