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カテゴリ:街を歩いて見かけたもの
京阪・淀駅の京都方面のホームから、窓越しに、お城の堀と石垣が見えます。淀城址です。 淀城址 同上 駅前にある「淀城の故址」の碑 淀城は、徳川2代将軍秀忠の命により、松平定綱によって築城されました。元和9年(1623年)に着工、寛永2年(1625年)に竣工しています。 天主台の遺構 同上 宝暦6年(1756年)、落雷により天守や建物の大半が焼失したということです。修復の際、天守や本丸御殿は再建されなかったようです。 木津川の付け替えが行われたのは明治に入ってからです。江戸時代までは、淀城の付近で桂川・宇治川・木津川の三川が合流していました。城の周囲は二重・三重に濠を巡らしていたといいますから、お城は淀川に浮かぶように見えたかもしれません。 藩主が何度か変わったあと、享保8年(1723年)、稲葉政知(まさとも)が下総国佐倉(千葉県)から移り、明治維新までの間、稲葉氏10万2000石の居城となっていました。 江戸時代の末期、戊辰戦争の鳥羽・伏見の戦いのとき、淀城の城代は敗走する旧幕府軍に対し城門を閉ざしたままでした。このとき、城主の稲葉正邦(まさくに)は江戸にいたといいます。 淀城の門が閉ざされたこと、これが鳥羽・伏見の戦いにおける旧幕府軍の敗北の一因とされています。このとき、城下町や城内の一部が焼失したそうです。 明治に入り、東側の巨椋池の干拓によって地形が変わり、廃城となった淀城はほとんど破壊されてしまったといいます。
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