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カテゴリ:街を歩いて見かけたもの
京阪・淀駅の北、納所小学校の北隣に、妙教寺というお寺があります。かつてこの辺りに、淀殿が住んだ淀城(淀古城)があったと思われます。 妙教寺 このお寺の境内に、碑が建っています。 史跡を示す碑 この碑には2つの時代のことが書かれています。 ひとつは「淀古城址」です。「此所は戦国時代の始 細川管領家が築城し薬師寺与一 岩成左通 淀君らの居城となった淀古城の址である」と記されています。 それ以前にも淀城は存在したようですが、戦国時代の初めごろに細川氏が支配するに及んで、城として確立したということなのかな? 「薬師寺与一」は「薬師寺元一(もとかず)」のことで、細川氏の重臣だった戦国時代の武将です。永正元年(1504年)、主君・細川政元に謀反をしかけて淀城に籠りましたが、敗れて捕えられ自害したということです。 「岩成左通」という名前がありますが、これは三好三人衆の一人、「岩成友通(ともみち)」のことのようです。天正元年(1573年)、織田信長と対立していた室町幕府15代将軍・足利義昭が挙兵し、これに呼応した岩成友通は、淀城に籠ります。しかし木下秀吉(豊臣秀吉)の軍に攻められ、最後には討たれます。 もうひとつは江戸時代末期で、「戊辰役砲弾貫通跡」についてです。「慶應四年正月四日戊辰役の際 東軍砲弾が飛来し本堂を貫通したその弾痕がある」と記されています。 この周囲は、戊辰役(戊辰戦争、鳥羽伏見の戦い)の主戦場の一つとなったところです。境内には東軍戦死者を弔う碑がありました。 「戊辰之役東軍戦死者之碑」 妙教寺境内 境内はただただ、静寂に包まれています。しかし、いろんな歴史がこの地に積み重なっていることを思うと、不思議な感じがしました。
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