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2012年06月15日
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伏見長州藩邸跡

伏見長州藩邸跡
京都市伏見区表町
京阪電気鉄道 中書島駅より徒歩4分

府道115号沿い、京都市の土木事務所前に「伏見長州藩邸跡」と書かれた石碑があります。

文久3年8月(1863年9月)、会津藩や薩摩藩など公武合体派が、尊皇攘夷派を京都から追放するクーデター事件が起こります。これにより尊王攘夷派の公家が一掃され、長州藩は京都を追われることとなりました。10月には薩摩藩の島津久光(公武合体派)が大軍を率いて京に入り、尊王攘夷運動は下火になります。

失地回復を狙う長州藩は、翌年(1864年)6月の池田屋事件(京都三条木屋町の旅館・池田屋で、長州藩や土佐藩の尊王攘夷派が新撰組に襲撃された事件)をきっかけに京都へ出兵します。

7月には、武装した約500人が長州藩邸から京に向けて進軍し、会津藩や薩摩藩と戦火を交えました。いわゆる「禁門の変」です。激しい戦闘の結果、長州軍は敗走、長州藩邸は焼け落ちました。この戦いで京都市中で3万戸が焼けたといいます。

この後、長州藩・毛利敬親の追討令が発せられ、長州藩は朝敵となります。

敵対関係にあった長州藩と薩摩藩を1866年の薩長同盟へと導いたのが坂本龍馬です。明治維新前の激動の時期です。

 

 






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最終更新日  2012年06月19日 22時42分01秒
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