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カテゴリ:【教育】に関わる単語
とうとう明日、我が愛娘1号が成人する。そして彼女は今、見ているコッチがサングラスを持ち要らなければならないほどに、とても【爛爛】としている。
彼女が思春期の頃、俺との関係は可でもなく不可でもない、といった状況だったのだが、ここ最近になって、かなり打ち解けるようになってきた。 俺は旧式の人間だ。 なので、彼女が思春期の頃は俺自身少しばかり身構えているような状態だったことは否めないし、そんなオヤジに対し彼女が打ち解けるハズもなく、ただ親と子と云う立場を互いが理解しつつ接していただけであった。 それが最近になり、彼女も社会人となった今、その“親と子と云う立場を互いが理解”すると云った堅苦しい関係から“素直”に互いを認め合える関係になってきた。 旧式の俺は、こういったシチュエーションに滅法弱いんである。 今日は、彼女の仕事が昼出勤のシフトだったので、午前中、俺の仕事に同行させて途中の浅草辺りで降ろし、そこから勤務先に向かうといった感じで出掛けた。 しかも、その道中は彼女のマイカー“通名・ビリー号”を彼女が運転しながら得意先に出向く方法を採ったので、俺は気楽に助手席に座っているだけ、といったシチュエーションだ。 ※愛車・ビリー号 ![]() 初夏の日差しを浴びながら、彼女のドライブで颯爽と都内を駆け巡る。 つい最近までは“考え方”も“行動”も何もかもが子供だった娘が、いつの間にかイッパシのオトナになっており、しかも俺を車に乗せて都内をドライブしているのだ。 しかも、車内で交わす会話さえ、堂々としたオトナのソレになっており、つい最近まで何もかもが子供だった娘が、ウソのように遠い過去のモノとなっていくのを感じ、容量の少ない俺の脳味噌は、その現実を処理するのに精一杯になってしまっていたりした。 時折みせる屈託の無い笑顔は、子供の頃と変わりないが、その時よりも【爛爛】と輝いているのは見間違いでは決してない。 自分の子供が“コドモ”ではなくなる日。 ようやく立場が対等となり子育てからも本格的に卒業する日でもある。それは親としてもケジメの日でもある。 そして、子供の立場から云うと、ようやく親からの束縛が一切なくなる日でもあり、正式に“独り立ち”が出来る日でもある。 それが明日だ。 旧式の俺は、きっと明日・・・だろう。本当は【爛爛】とした愛娘を素直に祝福せねばならぬのだがね。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007/07/24 01:58:35 PM
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