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カテゴリ:与太話
別に誰も求めてやしねーとは思いますけど、松島の土産屋で購入したアレな品を晒してみようかと。 箱を開けると白い紙で包まれた品が出てくる。何が出て来るのかというと こんなのが出てくる。 とりあえず、ややこしい説明は不要だろう。 「見れば判る」から。というか、 わざわざ言語に頼るまでも無い。 見るがいい。 この中央部に浮き彫りにされた、凛々しくも力強い 「御守」 の二文字を。 見ているだけで全身に無意味に活力がみなぎって来るような気がするし、やっぱりしないかもしれかったりする。 天を衝かんばかりのその威容。 光を受けた先端は、強大なパワーを感じさせる。 そしてその沈黙が、纏う空気が、雄々しきその存在を声なき声を以て常に主張し続けているかのようだ。 沈黙という鎧に包まれた「彼」の存在を、我々は嫌でも認知せざるを得ない。 ていうか、無理だろ。 目の前にこんなあからさま過ぎる形態の置物があるのを無視するのは。 ――――――― 真面目に考察してみると、おそらくこれは道祖神の類ではないかと考えられないだろうか。 道祖神は交通安全の神として有名だが、言うまでも無く「松島」の地は観光地であり、多くの人が行きかう場所である。 そうした必然的に交通の多くなる場所において、(旅行の道中安全を願って)このチン妙な置物がお土産として販売されているのは何ら不自然な事ではないように思われる。 また道祖神は「子孫繁栄」の権能を有しているとも言われる。 多産・豊穣の象徴として男性器を崇拝するというのはそれほど珍しい発想ではなく、世界各地でみられるものである。男が発した種が女を身ごもらせる様子が、エネルギーの象徴と考えられたのではないだろうか。 また、この置物は下部に 女性器を模した箇所が作られている。 「母」という存在もまた豊穣の象徴と捉えられていた。 大地から穀物が誕生するという現象が子供を産み育てる様子、すなわち「出産」という能力を備える母と同一視されての事であろう。 つまりこのアンドロギュノスな置物、「交通安全」「子孫繁栄」の二つの役割を持つ非常におめでたいアイテムではないかと考えられるのだ。 かつて明治政府が掲げた「神仏分離」「廃仏毀釈」の旗の下、「淫祀邪教」の烙印を押されて弾圧・迫害・破壊され、「あまりの破壊の凄まじさに、当時この国の川は男性器のオブジェで埋め尽くされたという」(杉岡幸徳『 奇妙な祭り―日本全国〈奇祭・珍祭〉四四選』角川書店)程の過酷な近代を辿ってきた道祖神は、その形を変えながら現代まで何とか生き延びてきた。 そんな背景に思いを馳せずにはいられない。 ……いや、別にそんな小難しく考えんでも 「うはwwwwwwwwwwwチ×ポ売ってるwwwwwwwwwwww」 的なノリでも問題は無いと思うけど。 ――――――― という訳なので、これを交通安全の神様として捉えるなら、自宅の玄関あたりに置いとくのが最適かと思われます。 ただ、この置物を家にやって来たお客さんに万が一見られた場合、交通の安全は保障してくれても人間関係の安全までは保障してくれないんじゃないでしょうか。 まあ、ともかくも何やらおめでたいアイテムかもしれないので、 幸運を鷲掴みだね☆ (※置物の掴み方に特別な意味はありません。ありませんったらありませんってば) ――――――― 追記 えーと……削除されないよね? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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