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カテゴリ:与太話
昨日の記事に関連して。
以前、早稲田大学教育学部の教授である石原千秋氏が書いた「大学生の論文執筆法」(ちくま新書)という本を読んだのだが、その中で面白い箇所があったのを思い出したので、引用してみます。 大学の教師をやっていると、たまに頓珍漢な学生がやってくることがある。(中略)「将来、モノを書く仕事をしたい」とやって来るのだ。ところが、ほとんどの場合は挫折する。その挫折には二通りある。 一つは、小説を書きたい場合だ。(中略)ところが、「モノを書く仕事」というイメージと大学の授業で習う研究の入門という実体とがかけ離れていて、挫折するのである。このパターンは、大変多い。文学部は小説を書くところだと思っているらしい。勘違いである。「モノを書く仕事」は単純に「自己表現すること」だと思っていて、研究的な手続きの厳密さを受け付けないのだ。何の勉強もしないで「自己表現」が「商品価値」を持つと思っているところがまさにアマチュアたるゆえんなのだが、世の中はそう甘くはない。(中略) もう一つは、評論を書きたい場合だ。(中略)「文章を読んで下さい」とやって来るのだ。その意気や良し。ところが、持ってきたものと言えば、パソコンで打った紙二枚。まぁ、二千字程度だ。大学受験のための「小論文」程度の文章が「モノを書く仕事」になると思っているらしい。そこで「君、文芸雑誌」を見たことある?」と聞いてみると「何ですか、それ?」という具合である。(中略) そこで、「君の言っていることは、一度もプールを見たことがないのに、水泳でオリンピックに出たいと言っているようなものだよ」と、優しく言い聞かせる。(中略)唯一の救いは、他人のアドバイスを受けようとしたところである。しかし、こういう学生は二度とやって来ない。 (p88~p90) やっぱり、「夢」や「憧れ」をそのまま職業に転化できるほど、世の中というのは甘くないらしい……。本当に才能と熱意がある人ならこの程度では諦めないだろうし。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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