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tartaros  ―タルタロス―

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こうず2608

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2009.09.05
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カテゴリ:小説紛い
 また東方SS書いてるけど、思いのほか長くなって完成のメドが立たない。
 ので、気まぐれに即興作品。






 横たわる男が一人。哀れな事に、私であった。
 脚を一杯に伸ばせばもう行く所が無くなってしまう真白なシーツの海が、私に与えられた世界の全てである。しかも、このたった一人分の病床が私には狭すぎるのである。
 ここには何かが満ち満ちているように思う。
 それが何かは解らない。解らないが、手で掴む事は出来なくとも確かに感じ得る何かが、私の目から耳から私の精神を苛もうとしている。それは、私の肺腑をその一片までも凌辱しようとしているあの恐ろしい病よりもなお病的の産物なのだ。あるいは錯覚かもしれないそれは、しかし、私の感覚においては確かにこの墓場のような空間に鎮座している。ベッドがあるのは一人部屋の遥かに隅、そこにまるで物置が無かったからここに片づけているのだと云わぬばかりに置き去られているのがこの私なのだった。
 確かに、私が受け取った世界の全てはただ真っ白なシーツだけでしかない。
 私が居る空間は、私だけに与えられた事がついぞ存在しない。
 常に私は俗界から剥離したひと群れの苔に過ぎなくて、その苔がゆらゆらとエーテルの海を漂って死海に辿り着こうとしている。それがいかに滑稽な様であることか。例えば、こうである。病を得た人には何か特別の穢れがあるのだと、彼らは言外に主張しているような気がしてならない。だから、皆、私を清潔に保とうとしているし、枕を覆う白い布をいつも汚れぬよう保っている。定期的に取り換えてもくれる。だが、それが私にとっては実に厭わしさの象徴でしかないのである。私の枕が私の脂で黄色く濁っていく様を、私は常に欲していた。次から与えられる正常さは、むしろ何ものも残ってはいない空虚な洞穴に投ぜられる前段階のようで恐ろしかったのである。私は、私が何かを意図せずに汚してしまうということを、この半年間でほとんど目にしてはいない。常に清潔を保たれ、最適な状態に置かれるこの管理下の世界を、私は実に欲せざるものと見なさなければならない。子供じみた反抗的な欲求が、私の喉をひりつかせるのだ。綺麗に保たれれば保たれるほど、私は私がもと居た世界から乱暴に連れ出されているような気がする。美しいということが、その全てにおいて無条件に肯定されて良いはずがない。生きるということは正しく「汚らわしさ」であろう。天地開闢より以来、誰が目を背ける事を許したと云うのか。清浄の世界に置かれるこの息苦しさを、私は誰にも伝える事が出来はしないであろう。
 実に幾度と無く、指先に纏わりつく羽虫の類を私は友人と解釈した。
 対話は出来ぬ。対等の関係を築く事など元より叶わぬ。ただそれでも、埃じみた陽光に喰われる、私に面した窓際を唯一の外界とせずにはおれない気分であった。ほんの手慰みでしか有り得ない交流を、私はいたく楽しんでいるように思っていた。黒々とした身体は私の爪の先よりなお矮小である。ふッと息を吹きかければ、きっとどこか見えない無何有郷にでも旅立ってしまうのだと予想できる。私は、羨ましいのだろうか? この拘束から逃れる事を思ってこの友人に無言の交流を仕掛けているのだろうか。自分自身にも、判断がしかねた。ただ――これがあまり苦しそうであったから、慈悲のつもりで放してやろうとしたのであるが――――私の指先は力の加減を誤った。別れの際の戯れのつもりだったのだ。人間同士であれば、おそらくは笑って許されるであろう、その推測によった軽はずみの故に――何か固いものの内側から、液体が漏れだしてくるような感覚があった。羽虫は、胴と脚と羽をばらばらにされた。悲しくも嬉しくもなかったが、私は、この「友人」の名前も素性も、実にその一切を知らない事を、少しばかり後悔した。
 また私はある時、一匹の蛾を見つけた事があった。
 夏の盛りの、ある暑い日であった。
 駄目だと言い含められていたにもかかわらず、暑さに負けて勝手に窓を開けて私は横たわっていた。何も考えず、何も考えられもしなかった。ただ――そう、ただ、死体の如くに、近いうちにやってくる事実の予行演習としてである。
 ひらひらと、薄い光の下に、蛾はやって来た。実に呑気な軌道を描きながら、ほんの散歩といった風情である。なんという種類かは解らなかったが、先の羽虫よりは少しだけ大きいくらいに成長している。それでも私の指先くらいでしかないのである。私の意識は、好奇の針で突かれてしまった。
 死の海を照らす電灯は、意外と低い場所にある。
 私は起き上がって、上手く、死なせてしまった「友人」に代わる新しい相手を見つけた事をひどく悦んだ。
 よくよく顔を近づけて匂いを知ろうとした。生きている匂いがした。私からはとうとう欠如し始めているその匂いを、私は一杯に吸い込んだ。病んだ肺腑に鋭い痛みが走らずにはおかない。千本の錐と針が私の胸で暴れている。
 顔を近づけてみると、あくまで昆虫然といった大きな眼は、まるでレンズのように過剰な悪質さだ。頭も背も細かな産毛で着飾られている。その覆いをひき剥いだ裸のお前が、果たして何を知っていようか。腹には何が詰まっているのであろう。糸よりもきっと細い脚が私の指を力なく叩く。もがいているのか。じゃれついているのだろうか。一対の茶色い羽に記された目玉の模様が爛々と私を睨め返すと、私自身もまた目を凝らさざるを得ない。
 額から伸びた櫛のような触角が指の腹を撫でると、不思議と思い出した事があった。この小さな蛾のように、私という人間から零れ出たに過ぎない記憶であった。私は、確かに彼女と結ばれたが、彼女はずっと泣いていた。汚らわしいものを見る目であった。上気した頬と乱れた髪が、狂ったように振り向けられて、私は怒ればいいのか、それとも彼女と同じように泣けばよいのか。それすらも判断しかねていたのである。それは――幸いにしてと言うべきか――誰も表には出さなかった。もしかしたら、彼女が拒んでいたのか。ほどなくして彼女は、死んだ。地面に落下した衝撃のせいだったのだろうか、彼女の中からは未成熟な生命の成り損ないが、血と透明な液体に塗れて這い出ていた。
 生きるという事は本質的に汚らわしさの連続である事を、今更に私は思い出した。
 汚穢の中にあって、汚穢と知らずに生きるのは確かに幸いだ。ただ死に向かう一抹の清浄のみが、それを私たちに知らしめずにはおかないのだ。私は生きたかった。まだ死にたくなどないのである。
 だから、私は私に死の記憶を思い起こさせる友人を、いとも容易く握り潰した。はらはらと、涙が落ちるように薄い毛布の上に散った羽から、一筋の液体が滴っている。裏切られた事への抗議か、それとも悲しいだけなのか。私は何とも思わなかったのであるし、ただ生きているのだという事実を久しぶりに実感しただけである。指先にこびり付いた、死んだこの友人の櫛だけが、私だけの後悔であったのかも知れない。しかし、悲劇ではない。断じて違うのだ。
 悲劇とは単なる概念である。現象はただ現象のみである。悲劇的とは、各人が空想したものを現実に当てはめた再度の空想と、その故に訪れる畏れの別名である。
 空想を生む権利があるように、空想を殺す権利もまた万人に備わっている。
 私の空想は、しかし――死んだ友人の櫛という形見からして、何ものも取り戻せぬと確信した彼女の悲劇を補強しただけだった。
 それを理解して、私は、私の本能はどうしようもなく刺激されてしまう。私はこっそりとシーツで痕跡を拭った後で、早く早くと急き立てる私自身の欲動を自覚した。私は、自分の中心部から吹きあがる白く濁った悦楽を享受した。それは、まさに惑乱だった。
 彼女が死んだ時も、友人を握り潰した時にも、ついに感じなかった生の悲劇を、その時の私はようやく思い至った。





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Last updated  2009.09.05 23:07:35
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