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る。ここに掲載した家紋は「土屋姓」の家紋で、同じ土屋でもこんなに種類がある。私の家の 門は一番左上で、そのルーツは源平の頃まで確認できた。家紋は保元、平治の頃、公家によって 使われ始め、源平の合戦で武士に使われるようになったと新井白石は書いている。風林火山 のドラマでも家紋が殆んどの戦闘場面に登場する。本来装飾用としてうまれた紋章であったが 合戦のばあいには、敵味方の判別、そして勢力の威嚇等に大いに役立った。家紋は戦国時代の 終焉までは専ら、貴族社会と武家社会の占有物であったが、江戸末期、そして明治維新の後 には広く一般庶民に普及した。姓のない人がいないように家紋のない家は皆無にちかかった。 家紋を如何に選ぶかについては、皇室の菊の紋章、徳川の三つ葉葵以外には、特に制限が なかった。現在数百種類の家紋があるそうだが、残念ながらその出番がなくなった。特に 戦後、和服が洋服に変わったため。紋付の羽織が大いに衰退し、冠婚葬祭に高齢者のおばあさ んがたまに着る位である。若い人は自分の家の家紋を知らない人がいる。嘆かわしい限りだ。 今家紋が見られる唯一の場所は比較的古い墓地である。 公家の系統の家紋は唐花、巴、丁子、菱、梅鉢等が多く優雅である。武士に多いのは弓、矢、 箙,弦巻、鉞、兜等戦闘に必要な用具が用いられた。家紋は自然界の様々な物体、現象を 取り入れている。中でも花、動物、小鳥、太陽、月、星、雷、石等が多く、その殆んどが 幾何学模様で、対象形でデザイン的に優れている。現在では提灯屋さんは見当たらない。 戦前は町内に1軒はあったものだが、今では家紋入りのオーダーメイドの提灯はまず手にはいらな い。インターネトで丹念に探せば見つかるかも知れない。我々は木の股から生まれたわけではない。 絶えることのない命の継承があって今日生きている。社会保険庁の長官の天下りにはあまり の強欲、拝金主義に言うべき言葉もない。一体如何なる親に育てられ、如何なる家系に 生まれたのか聞いて見たい。日本人の優秀なDNAを絶対に継承させなければならない。 「古きを尋ねて、新しきを知る」べきである。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2007.06.09 15:56:20
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