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小言幸兵衛の「徒然日記」

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2007.12.22
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カテゴリ:カテゴリ未分類
NHKの大河ドラマ「風林火山」も、先週で終ってしまった。日本の戦国時代は、応仁の乱から
大阪城落城あたりまでと言われている。この間に出現した戦国武将は、多士済々であり、
優れた統率力をもった名将が続出した。私は中でも、武田信玄と上杉謙信を敬愛する。
残念ながら信玄は53歳で木曽、駒場で胃癌で他界し、謙信も41歳で脳梗塞で世を去った。
若し彼らが後5年ほど生きていたら、信長や秀吉の天下統一はありえなかったであろう。
今年の「風林火山」は井上靖の原作による。主人公に山本勘助を置いた異色の作品である。
ドラマは第四次、川中島の合戦で、勘助が戦死したところで物語りは終っている。当時の武田軍団は名実ともに日本一であった.名将のもと弱卒なしで、信玄、勝頼の部下には「武田24将」といわれた名将がいた。
井上靖の原作では、山本勘助は武田の軍師であり
武田5将の一人とされているが、残念ながら甲陽軍鑑やそのたの古文書でも軍師としての
実在は確認されていない。私は30年ほど前、仕事の関係で北巨摩郡白州町に3年ほど、
単身赴任していた。ある工場の責任者として仕事をしていたが、多くの地元の人と知り合いに
なった。ここには戦国武田の子孫が多く住んでいた。教来石、原、内藤、馬場等の子孫の
方々からは貴重な話や古文書を見せていただいた。時間の許す限り神社仏閣、史跡も廻ってみた.勝頼の騎馬軍団が織田、徳川の連合軍の鉄砲戦術により、壊滅的な打撃をうけた、長篠の
古戦場へも足を運んだ,躑躅が崎館や、恵林寺も馴染み深い。それだけに戦国武将のなかでは、武田信玄に近親感がある。彼が鉄砲を初めとする新しい戦法に積極的に取り組み、不動の
組織をつくり、後継者を育成していたら、武田家の天目山における悲劇的な滅亡は無かったと
思う、信玄の死によって漁夫の利を得た信長は、一応は天下人にはなったが、その末路は
悲劇的であった。晩年の彼の思想は常人のそれではなく、狂人に近かった、
その後を簒奪した秀吉は、位人臣を極めたが、秀頼が生まれた頃から、精神が狂ってきた。
千利休や秀次を殺し、朝鮮出兵の愚を繰り返す晩年の彼は老耄の人であった。私は尊敬していない。尊敬できる武将は数多いが、中でも伊達政宗には敬意を表する。
いまの政治家、官僚のなんとお粗末な事か。戦国のころのカリスマ性のある武将が数人でてくれれば、国の退廃は防げる。何百年もかけて構築してきた日本武士道はこのままだと氷解する。





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Last updated  2007.12.22 13:39:32



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