|
カテゴリ:カテゴリ未分類
![]() 武田信玄、上杉謙信、斉藤道三、今川義元、後北条、毛利,浅井、朝倉、六角、島津、伊達、最上、南部、佐竹、細川、徳川等、何れも崩壊寸前の足利幕府に代わって天下を治めんと、虎視眈々と機会をうかがっていた。周囲を強国に囲まれていた小国尾張の信長が天下を手中にし得たのは強敵武田信玄の病死という突発的な事故による。歴史に若しはない が、もし西上途中の信玄が病に倒れなかったら、信長は鎧袖一触で潰されていたであろう。 信長が本能寺で倒れると秀吉が次の天下人になった。最後まで秀吉に抵抗していた小田原北条が秀吉の雲霞のような大群に包囲され降伏すると、秀吉の目は奥州に向けられた。政宗は奥州の雄として簡単には秀吉には屈しなかたが、秀吉にせよ、家康にせよ自分よりは 遥かに高齢ゆえ、いずれは先に死ぬと考え臣下の礼をとったのである 奥州伊達家はその祖は藤原氏で政宗は16代の当主である。奥州第一の名門の嫡子として 生まれた。幼名梵天丸、出羽三山の一つ湯殿山の万海上人の生まれ変わりと信じられていた 政宗は3歳の時、疱瘡で左目を失った。その醜さ故に実母の義姫に疎んじられ、毒殺寸前の経験をしている。幸い政宗は口に入れて食べ物の異な味に気づき直ぐに吐き出し、もっていた解毒剤を飲んだ為一命を取りとめた。実母の義姫は次男の小一郎を偏愛した。ために政宗は、弟の存在がお家騒動の元凶になると考え実の弟を葬った。義姫は伊達家を去り実家の最上家に逃げ帰った。政宗との再会は実に38年後のことで、そのとき最上家はお家騒動の責めを幕府に弾劾され改易されていた。(続く) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2009.01.22 15:07:57
|