先日のレイキヒーリングの話です。
その方の子供さんが病気(内臓疾患)で、お母さんと子供さんと一緒にレイキさせて頂きました。色々不安があるようで、レイキしながらや、終わった後もお話していたのですが、そこで私自身も色々考えました。
私はその方のように子供に病気がありません。私が心から今思うことを言葉を選びながら話しても、それによって傷つけているかもしれない。エゴだとも思う。とある文章を引用させて頂き表現するなら、「こっち」と「あっち」があり、その子供の病気に関しては今「あっち」ではないんです。「こっち」からの発言はあくまでも「こっち」からの発言で、「あっち」の発言ではないんだと・・・
きっと世の中色々な事で「こっち」「あっち」があるんだろうと・・・そういう線があるんだろうと。。境界線や・・国境線・・色々なことが言葉や環境などで線を引かれてる。
「こっち」からの言葉と思えば「こっち」になっちゃうけど、線上にいれば線をも見えないんだろうと。。限りなく寄り添えば「あっち」にはなれなくても、線上で線すら見えなくなるんじゃないかと思いました。
言葉は難しいです。対したり向き合えばしんどい事も隣り合う事で見え方も感じ方もかわるかなと思いました。
少しそんなニュアンスでやっていこうかなと・・・考える今日この頃。。