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風に恋して ~自由人への応援歌~

風に恋して ~自由人への応援歌~

そよ風にのって 5章

<そよ風にのって 5章>


最近になって、まるで何者かに導かれるように日本の縄文時代、及びそれ以前の歴史や文化、人々の生活に引き付けられています。「日月神示」や「竹内文書」関連のいくつかの書籍、「一万年の旅路」、「神々の預言」、「人類の隠された起源」等の書に触れると共に、平成7年以降、尋ねてこられる多くの霊能力を持っている人たち(皆さん、揃いも揃って唐突に、理由もなくいらっしゃいました。)との話などから、「私は、あるいは、私たち人類は、どこから来て、どこへ行こうとしているのか。」という疑問と興味が、最初は針の先程の微かな点として心に入りました。その後、流れに任せた生活を続けているうちに、その微かな点は徐々に振動し始め、池になげられた小石によって湖面に同心円状の波紋が全体に広がっていくように、大きな力となって私を動かしていくようです。

先日、2月11日(紀元節)の日、「第5回日本人の和と心を学ぶ会、テーマ 山と暮らす心」が埼玉県上福岡市にある神明塾で開催されることを知り、五代真代さん、鈴木大樹さんをお誘いし、出かけてみました。初めて訪れる神明塾、玄関を入ると、すぐ右側に「さざれ石」と銘打たれた置物がありました。神明塾の佐々木将人先生より、それが「君が代」に歌われている、あの「さざれ石」だよと教えられ、小学生の頃よりその意味を深く考えることもなく歌い続けてきた「君が代」と対面させられ、その歌詞の奥深い心が私を捕らえてしまいました。(何故に、学校教育で、それは教えられないのでしょう?)

 君が代は 千代に八千代に
 さざれ石の巌となりて
 苔のむすまで

午後12時45分から始まった会に合せるように、雪が舞い始めます。うっとりと窓から見つめる、ひとひらひとひらの雪が、なぜか暖かく、私の心を潤していくようでした。

記録映画「越後奥三面(おくみおもて)」―山に生かされた日々―の前編(2時間半)を見せていただいたのですが、この記録映画は1984年度日本映画ペンクラブ ノンシアトリカル部門1位、キネマ旬報文化映画ベストテン2位、1986年シカゴ国際映画祭ドキュメンタリー部門銀賞を獲得しており、「新潟県の北部、山形県との県境にある朝日連峰の懷深くに位置する奥三面。平家の落人伝説をもち、また縄文遺跡も残る、歴史の古い山村である。人々は山にとりつき、山の恵みを受けて暮らし続けてきた。その奥三面がダムの湖底に沈む。この映画は山の自然に見事に対応した、奥三面の人々の生活を、四季を通じて追い、ダム建設による開村を前にした、人々の思いをつづった長編映画である。」(民族文化映画作品総覧 1996年版より)というものです。
昭和23年、広島県呉市で生れた私には、原体験としての厚く覆われた一面の雪景色も、懷深い山々も、大根を干している軒先も、皆無なのに、なぜかそれらひとつひとつの映像が懐かしく、胸に迫ってきます。スクリーンの中では、天と地と一体化した霊性豊かな日本人の、たくましくもやさしい調和の生活が描き出されています。自然から与えられる食物(穀物、野菜、きのこ、木の実など)を丁寧に、感謝の念で頂戴し、春から夏にかけては、川で獲れる魚、冬はウサギ、熊が唯一の動物性タンパク源の生活で、季節ごと、あるいは収穫時毎に、まず最初にその恵みを自然(神)にお供えし感謝する日常生活が、忘れ去ってしまった大切な「自然=地球と共に生きる」ことの意味を教えてくれます。そこには、差別もエネルギー問題も、大気汚染や水汚染も、いじめや犯罪、ゴミ問題もありません。

縄文文化、それは天と地を、人の中になうことによって完成した文化なのだそうです。この穏やかで優しい気持ちにしてくれる記録映画は、あらためて私の中に日本、即ち「大和」への旅心を掻き立ててくれました。今という時代に、「大和」の民として生まれ合わせたことの深い意味を探し出したいと思います。アインシュタインが預言したという言葉が、今活き活きと私の心を捕らえています。

「世界の将来は、進むだけ進み、その間、幾度か争いが繰り返され、最後に疲れる時が来るだろう。その時、世界の人類は、真の平和を求めて、世界的盟主を上げねばならない時が来る。この世界的盟主となる者は、武力や金力ではなく、あらゆる国の歴史を超越する、最も古く、かつ、尊い国柄でなくてはならぬ。世界の文化はアジアに始まって、アジアに帰り、それはアジアの高峰、日本に立ち帰らねばならぬ。我々は神に感謝する。天が我々のために、日本という尊い国を造ってくれたことを。」

   アインシュタイン

1999.2.278記



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